1+1、必ずしも2、ではない。

今日はいい話を読んだ。
<私は1913年(大正2年)東京日本橋の人形町界隈に生まれ育った>、と書き出される。タイトルは、「ああ相撲! 勝ち負け、すべてではない」。吉田秀和の「音楽展望」である。
<思い出す、まだ小学校に上がる前のある正月、例年の如く大工の棟梁が年賀の挨拶に来て、・・・・・「坊ちゃんも相撲は好きでしょう? 相撲は何たって梅常陸。西と東の横綱が楽日に顔をあわせる。待った数回、やがて・・・・・>と続いていく。
忘れたころ、朝日新聞の文化面に、吉田秀和の「音楽展望」は現れる。おそらく、数十年の間。不定期連載だ。月に1回ではない。もっと間隔が開いて。
「音楽展望」と銘打ってはいるが、100歳に近い吉田秀和の思索、音楽に限らない。文学、美術、哲学その他、森羅万象に及ぶ。今日は、相撲の話である。
<彼にいわせると、相撲は勝ち負けがすべてではない。鍛えに鍛えて艶光りする肉体同士が・・・・・>、<そこに生まれる何か快いもの、美しく燃えるもの。・・・・・そういった一切を味わうのが相撲の醍醐味。それに花道の奥から現れ、・・・・・その間の立ち居振る舞いの一切が大事なのだ>、と大工の棟梁から教えられたと書く。
私は、吉田秀和の書など読んだことはないが、一度だけ見かけたことがある。見かけた、というより道で行き違った。10年以上、いや、20年近く前だったかもしれない。
たしか、昔の電通通り。向うから歩いて来る、その風貌、髪型から、吉田秀和だとすぐ解かった。年配の外国女性と一緒だった。吉田の夫人がドイツ人だと知ったのはその後だが、その時一緒だった人が、吉田秀和の奥さんだったのであろう。それよりも、吉田秀和自身、その面貌、髪型ばかりでなく、周りを歩く人たちとは、どこか異なる存在感があったのを憶えている。
<私は思い出す。かって柏鵬時代ともてはやされたころのある日、柏戸が・・・・・相手もろとも土俵下に転落した。・・・・・彼はそのまま休場、何場所も続けて。ようやく復帰した場所は、・・・・・勝ち星街道をつっぱしり、千秋楽、これまたきれいに白星を重ねてきた大鵬と顔を合わせると、・・・・・ついに寄りきった>、という記述や、また・・・・・
<楽日の優勝をかけた熱戦といえば、ある年の大阪場所での貴ノ花と北の湖の対戦も忘れ難い。当時の北の湖は「憎らしいほど強い」といわれ、実力抜群。一方、貴ノ花は・・・・・。勝ち名乗りを受けたのは貴ノ花だった。・・・・・>、ということも書いている。
この二番、相撲好きには記憶に残る相撲。さまざまな意味で有名だ。私も憶えている。
吉田秀和、前者、柏戸・大鵬戦については、その後、こう書いている。<私は「オヤッと思ったのはその前にもあったがな」と思ったものである>、と。また、後者、北の湖と貴ノ花の一番については、<私はTVを前に「北の湖、よく負けた」とつぶやいた>、と記している。
八百長問題に端を発した相撲協会のゴタゴタ、連日報じられている。それはそれでシッカリやってもらいたい。しかし、何というか、相撲の快さ、美しさ、渾然一体となった相撲の醍醐味まで、消し去らないでもらいたい。
吉田秀和ほどの見巧者ではないが、私も相撲が好き。吉田の文章、快かった。
それにしても、吉田秀和の「音楽展望」、本来はクラシックの音楽評論。それを相撲のことだけでも良し、としている朝日新聞も、太っ腹といえば太っ腹。その姿勢、今後も続けることが肝要だ。
1+1、必ずしも2、ではないのだから。