ロスコを追う人。

凄い絵描きってのは、何人もいる。私自身も、そう思っている絵描きは、何人かいる。
マーク・ロスコも、そのひとりである。20世紀を代表する画家のひとりである。
このブログでも何度か触れた。去年5月には、東京駅の工事中の囲いのパネルを見て、”オッ、ロスコじゃないか”と思い、そのことを書いた。時間のゆとりがあるお方は、5月5日の「東京駅のマーク・ロスコ」をご覧ください。
残念ながら、工事中のパネルの写真をロスコ風に加工したものが、どういうワケか、すべて無くなってしまい、写真はないのであるが。ロスコの作品、そういうものなのだ。ロスコは好きだが、センスがない私から言わせれば。
平面に赤や黄や黒やグレーなどの色が塗ってある。その多くは、2つか3つのボヤッとした矩形の中に。幾重にも色を塗り重ねているので、とても奥深い感じを受ける。私のように、工事パネルから連想するバチあたりなヤツもいるが、多くの人は、哲学的な感を抱くだろう。ともかく、存在感が違う。
マーク・ロスコ、1903年生まれのユダヤ系ロシア人だが、小さい頃アメリカへ渡り、1970年、自ら死んだ。理由は、不明。
平面に、2つか3つの矩形、幾つかの色を塗り重ねた”オッ、ロスコ”、という絵を描き出したのは、1950年前後から。それまでは、ポロックやデ・クーニングなどアメリカの抽象表現主義の連中の仲間だった。それが、1950年前後から、マーク・ロスコは、マーク・ロスコとなった。
当初の作品は、赤にしろオレンジにしろ黄色にしろグリーンにしろ、明るい色調であった。平面に塗る色が。しかし、だんだんその色調、暗くなっていく。深みを増す。日本では、佐倉の川村記念美術館に、ロスコルームがある。ロスコの作品7点のみを展示した部屋だ。入ると、何かもの思わざるを得ない感に包まれる。
そのロスコを追いかけている人がいる。
私の親戚、皆ごく普通の人間ばかりだが、ひとりだけ、あの人は頭が良かった、という人がいる。京大の地球物理学者であった。しかし、神さまは、時として酷いことをするもので、その人は、若くして亡くなった。その人の夫人である。一昨年、叔母の葬儀の時に久しぶりに会った。
絵を描いている、という。年とってから、とのこと。お好きな作家は?、と尋ねると、マーク・ロスコ、という答え。私は、驚いた。いつからとは聞かなかったが、年をとってから絵を描き始めた人が、マーク・ロスコとは。だが、作品の写真を見せてもらい、納得した。この人ならば、”いきなりロスコ”、何の不思議はない、と。
暫く前、新槐樹社展の案内をもらい、何日か前、国立新美術館へ観に行った。
その人、光田節子の作品、2点出品されていた。これである。

タイトルは、「私の山‐Ⅰ‐」。100号の大作である。
深い色づかい、静謐、という言葉を思い浮かべた。ロスコがお好き、と話していたことも思い出した。
しかし、絵の具は何を使っているのか、不思議だった。油ではない。むしろ、日本画の顔料を使っているようにも感じた。
私のこの雑ブログ、時折り、知り合いの個展や団体展への出品作を紹介している。友人たち、仲間内の作品なら、いちいち断わらず、掲載することもあるが、遠い親戚とはいえ、おそらく、私よりは年長の人。一昨年も、奈良の古刹・十輪院での夫君の葬儀以来、多分20年ぶりぐらいで会った人。載せてもいいかどうか、メールをした。どうぞ、との返事が返ってきたので、今日のブログとなった。
そのメール中、<透明水彩で色を重ねることの難しさを感じます。また、色だけで表現することの限界を感じ、改めてロスコの水平と垂直の線の意味するものは何か、と考えています>、とのことが記されていた。
顔料は、透明水彩だったのだ。それを幾重にも塗り重ねているんだ。マーク・ロスコは、光田も言う通り、水平と垂直の線で囲まれた2つか3つの矩形に色を塗り重ねている。地色の上に浮かんだような。
しかし、光田節子の創りだす作品には、ロスコの矩形はない。ただ、色のみで勝負している。色を塗り重ねることによって、マーク・ロスコを超えようとしている。しかも、透明水彩で。
ロスコを純化している、とも言えるのかもしれない。

あと1点はこれ。タイトルは、「私の山‐Ⅲ‐」。やはり、100号。
やはり、透明水彩を塗り重ねたものだろう。そのⅠは、緑っぽく見え、そのⅢは、茶色っぽく見えるが、よく見ると実に多くの色が塗り重ねられている。ロスコを純化した「私の山」の平面に。
いただいた年賀状に、こういうことが書かれていた。<年末に忍野、富士山に写生に行きました。晴れて富士山は素敵だったのですが、絵の方は・・・・・です>、と。
その忍野でスケッチした富士山が、上の「私の山」になったのかもしれない。削りに削り、深みに深めて。
富士の絵は多くある。北斎の富士。広重の富士。大観の富士。梅原の富士。片岡球子の富士。光田節子は、光田の富士を描き出したんだ、きっと。
年賀状には、こういうことも記されていた。<私は、才能を努力でカバーしようと、真面目にお絵描きの勉強をしています>、とのことも。
ロスコを追っている人、努力など、さほど必要ない。その才能とセンスさえあれば。私は、そう思う。