皆さん同じで、いいのかよ。

いや皆さん同じようなことばかり言っている。新聞もテレビも、今日もトップニュースの八百長問題のことだ。
”そうだろうな”、とは思いつつ、”そればかりか、と思うヤツはひとりもいないのか”、とも思う。国技がどうこうとか、国民の信頼がどうとか、裏切られたとか。官房長官の枝野も、各メディアの解説者や論説委員の皆さんも、ファンの皆さんも、揃いもそろって。代わり映えのない、画一化された論旨ばかり。
朝日の朝刊一面なんか、「スポーツとは認めぬ」という編集委員の署名記事まであった。3段、いや署名を入れれば4段も取って。スポーツに求めるのは、フェアネス(公正性)を根源に置いた感動だ、とし、徹底的な解明がはかられるまで、ファンは大相撲をスポーツとは認めない、と記している。
ちょっと気の利いた中学生でも考え得る論旨であり、”てにをは”の解かる高校生でも書ける文章である。一面しか見ていない。しかし、このこと、なにも朝日に限らず、どのメディアの識者も同じである。大相撲、単なるスポーツではない。日本特有の伝統文化であり、日常から離れた異空間を楽しむ催しでもある。
ほぼ1年前、1月の終わりから2月の初めにかけて、私は相撲のことばかり書いた憶えがある。朝青龍騒動と貴乃花の理事選出馬が重なった時期だった。
丁度1年前の今日、2月3日には、「世間は広い」として、高橋義孝の著『大相撲のすがた』の中にある、”「八百長」礼賛”というものを紹介している。高橋義孝と尾崎士郎の対談、二人の相撲の見巧者にして粋人のお話だ。
二人の粋人、酒を飲みながらの話であるが、見巧者の二人、こう言っている。「近代スポーツをみる目で、相撲を見るからわけがわからなくなる」、と。長くなるからあとは省くが、時間のゆとりのあるお方は、1年前の今日、2月3日のブログを見てください。
大相撲、一面的なものじゃない、ということが解かるはずである。理解できないどころか、ふざけるな、というお方もいるだろうとは思うが。まあ、それはそれでいい。
ただ、今回の問題、それとは別次元の問題がある。昨日も触れたが、十両と幕下のあまりにも酷い待遇格差の問題だ。今日のNHKで、慶應の教授・中島隆信という人が、このことに触れていた。

このように。

昨日も触れたが、左が十両の月給、右は幕下のそれだ。
100万とゼロ、哀しい現実だ。日本文化云々はさておいて、これは改善しなくてはならない。
放駒、目先のこともそうだが、この問題もやれ。

文科大臣は、公益法人の認可取り消しにも言及している。
取り消しになれば、こうなるという。日本相撲協会の財産は、今、500億円強あるそうだ。公益法人の認可が取り消されると、それがパーになる、という。放駒、文科省に出向き、若い副大臣に頭を下げている。好漢・放駒、私は、気の毒だ。
エジプト情勢、急にこうなった。

ムバラク支持派が現われた。反ムバラク派との間に乱闘が起こった。

ムバラク支持派、タハリール広場に集結するムバラク退陣要求の市民たちから、数百メートル先に陣取っている。

それが、このように反ムバラク派を襲った。

ラクダやウマに乗った男たちもまじえ。6人が死に、800人強が負傷した、という。
政権側、また、警察の関与が疑われている。おそらく、そうであろう。末期症状だ。

これは、ラクダやウマ、騎馬隊への報酬らしい。政権側に雇われた普通の男の報酬は、1人50ポンド(800円)だという。
末期症状、極まった。カギは、明日の金曜日。
ただひとつ、気がかりなことがある。軍の動向だ。場合によっては、軍によるクーデター、あるやもしれぬ。