サガン。

今月初めから連載した「北泰紀行」、(24)で終えたが、どうしようかと思っていたものを、ひとつ加える。
半月近く前、ゴールデン・トライアングルの「オピウム・ミュージアム(阿片博物館)」がらみで、ジャン・コクトーの書『オピウム(阿片)』について記した。コクトーが、阿片治療のために入院していた時の記録。その数日後、その近くにサガンの書があるのに気づいた。フランソワーズ・サガンが、やはりモルヒネ中毒の治療のために入院していた時、彼女が記したものだ。
『TOXIQUE(毒物)』、昭和44年、コクトーの『阿片』と同じく、求龍堂から出されている。判型も同じ、体裁もよく似ている。コクトーの『阿片』との違いは、コクトーの書には、彼自身のデッサンが描かれているのに対し、サガンの『毒物』には、ベルナール・ビュッフェが絵をつけていること。今の言葉で言えば、サガンとビュッフェのコラボレーション。
訳者は、もちろん朝吹登水子。10日ほど前の芥川賞発表時、3代に渉る仏文学者一族とされていた若手女流作家も、朝吹登水子の一族。それよりも、サガンといえば、朝吹登水子だった。『悲しみよこんにちは』以来。
フランソワーズ・サガンが、『悲しみよこんにちは』を世に出したのは、彼女が18の時。朝吹登水子訳のその書を私が知るのは、その暫く後のことだが、日本の貧乏でしょぼくれた学生には、コートダジュールでのブルジョワ娘の物語、眩しいものだった。日本ばかりじゃない、世界中のしょぼくれた若者が、みなそう思った。
だから、この書、世界中でベラボーに売れた。サガン、たちまちにして、巨額の印税、巨万の富を手に入れた。当時の為替レートで言えば、日本円で数百億円という巨額の富を。
映画にもなり、追い打ちをかけた。主役の娘をジーン・セバーグが演じた。短い髪のセシルカット、これがまた、何とも言えずカッコよかった。世には、何てカッコいい女がいるんだ、そう思った。おそらく、世界中の若い連中は、みなそう思ったに違いない。
”甘いアンニュイ”といった感じの、同名の主題歌も、その気だるいメロディーで、やはり多くの若者の心を掴んだ。
世界中の若い連中が、何から何までイカレてしまった、というのが、サガンの『悲しみよこんにちは』、だったんじゃないかな。
10代にして、莫大な富と名声を手にしたサガン、酒、ギャンブル、さまざまなジャンルのセレブとの交流、スピード・・・・・、多くのハデな話題もふり撒いてくれた。お定まり、と言えば、そうも言えるが。
20代始めに、大きな自動車事故を起こした。その治療過程で使用した薬物で、モルヒネ中毒になったようだ。もちろん、モルヒネは、阿片の主成分。その治療のための入院、10日間のサガンの頭に浮かんだことごとを記している。

表紙とダンボールのケース。

カバーの折り返し、表紙の裏(表2)、トビラ。

カバーの折り返しを読みやすいように拡大した。”こういうことで、この本は成った”、ということが書いてある。サガンとビュッフェの合作と。もちろん、右の絵は、ビュッフェのものではない。いかに、カリグラフィとはいえ。
そう言えば、2年ほど前、『サガン 悲しみよこんにちは』というタイトルの、サガンの足跡を追った映画があった。スキャンダラスなサガンの一生を、反芻していた。それにしても、サガンを演じていたシルヴィー・テスチュー、サガンそっくりな顔つきであった。よく似ていた。

手書きの文字は、<そして私を恐怖させる>。
サガンがタイプで打った文章の一節を、ビュッフェが引き出し、彼らしい筆致で記したものだ。そこに、ビュッフェが絵をつけている。つまり、サガンとビュッフェの合作、コラボである。
刷り色は、もちろんビュッフェらしく、スミ(黒)一色。じゃあ、青っぽいのは何だ、と言えば、それは私のいたずら描き。
ジャン・コクトーの『阿片』には、1枚しかいたずら描きはなかったが、サガンとビュッフェの合作である『毒物』には、その1/4ぐらいのページにいたずら描きをしている。青い水彩絵の具で。サガンとビュッフェのコラボに、私が勝手に入りこみ、3人の合作にしちゃったのだ。サガンにもビュッフェにも、もちろん、版元にも断わらずに。

<我慢できる>。

<月曜日、私は昨日、13時間のあいだアンプルなしで過ごした>。

ここでは、1羽つけ足している。

<ヴェリノックが傍にいてくれたらいいのに>。

足もひとつ。

<私は自分がもう誰をも恋していないように思う>。

<金曜日 アントワーヌ>。
アントワーヌっていうのは、この犬の名前。

<白痴>、と記されている。ザガンの文章には、<私は幸福そうに、そして、白痴みたいに微笑する>、とある。
私の青い水彩のいたずら描きは、ビュッフェの後ろ向きの男の顔を、前から描いたら、とでも思ったのだろう。まったく憶えていないが。
それより、ここのノンブルが面白い。59の2、60の2、となっている。
実は、ノンブルもビュッフェが手書きでつけているんだ、この書。この前に、59ページも60ページもあるんだ。それを忘れていたものらしい。で、59の2、60の2、と後ろに、”2”をつけ加えたらしい。面白いが、製本屋は気が張っただろう。

厚紙を使用しているので、束はあるが、本文わずか72ページの本である。
結末の2ページ前、<私は自分にさよならをいう>。
実は私、この書のことは、まったく忘れていた。
コクトーの『阿片』のことは憶えていたのだが、サガンとビュッフェの合作である『毒物』のことは。ましてや、そこに何点もいたずら描きをしていたことは、まったく忘却の彼方、失念していた。この書に貼ってあったものから察するに、おそらく、35年ぐらい前にいたずら描きをしたものと思われる。
懐かしさも無くはないし、ゴールデン・トライアングルの「阿片博物館」がらみでもあるので、載せることにした。