1月、こんなことあったな。

「北泰紀行」を連載している間は、よそ見をせず、余計なことには触れなかった。
もちろん、「本田のPK」ばかりでなく、見たり、読んだり、出歩いたり、なんやかやしていた。その間のことで、頭に残っていることを幾つか記しておこう。
正月の箱根駅伝で、早稲田が勝ったのには驚いた。往路、箱根の山登りで、東洋大のスペシャリスト・柏原竜二に抜かれた時には、もはやこれまで、と思った。総合優勝のためには、往路で3分の差をつけることが必要だ、と言われていたのだから。
その代わりでもあるまいが、やはり正月の恒例、ラグビー大学選手権では、帝京の重量フォワードに圧倒されて敗れた。準決勝では、明治の重量フォワードを翻弄、記録的大勝をしたのだが。明治の監督は、かっての快足ウィング・吉田義人だ。試合後の吉田の顔を見ていたら、今年の明治は、きっと強くなる、と感じた。今年の吉田、フォワードをより鍛え上げるに違いない。
卓球の全日本選手権も見た。女子の決勝戦だけだが。
準決勝で福原愛を破った高校生、石川佳純が優勝した。はるか年上のベテラン選手をストレートで下し。愛ちゃんよりも先に全日本のチャンピオンになった。暫くは、石川の天下が続くのじゃないかな。サーブも試合運びも上手いし、何よりも、強打の持ち主。卓球は、カットよりもスマッシュの方が面白い。私好みだ。
初場所は、これはもうお決まり。白鵬の優勝で、テンッ・テテンッ・テテテンッテン・・・・・、跳ね太鼓が鳴った。
しかし、白鵬、またも稀勢の里に敗れた。先場所に続いて。土俵に上がる前から、白鵬に呑まれていないのは、稀勢の里ぐらい、ということだ。私は、そう思う。その稀勢の里と琴奨菊の二人の関脇、共に二桁の勝星を挙げた。大関取りの足がかりを掴んだ。
大関候補、この二人の他にも、豊ノ島、豪栄道、鶴竜、栃煌山、何人かいる。しかし、やはり、稀勢の里と琴奨菊が抜けている。頭ひとつ、とは言わないが、額の上、マゲ程度ぐらいは抜けている。ましてや、揃いもそろって、不甲斐ない大関が4人もいる今、チャンスだ。大関取りにはもってこい。今年こそ、その秋だ。
頑張れ、稀勢。後れるな、奨菊。
胡錦濤がアメリカへ行ったな。国賓として。

何のかのと言っても、好き嫌いに関わらず、これからの世界、この二人抜きでは始まらない。オバマの再選の可能性は五分五分だが、胡錦濤は、来年変わる。しかし、トップは代わっても、アメリカと中国、ライバルでありながらパートナーとして歩まざるを得ない。これからは。
大国指向のプーチンはシャクだろうが、ロシアは、だんだんとヨーロッパの一国家、となっていくのではなかろうか。例えばフランスのような。独自の誇りを持った国として。ロシア、軍事力は飛び出ているが、これからの世界、それだけではダメ。ロシア、多くの問題を抱えている。今一度、超大国へ、なんて幻想は抱かず、文化国家へと切り替えるのがいい。ロシア、素晴らしい文化を持つ国なんだから。フランスと同じく。
20年後の超大国は、米中に任せる。イヤであろうと、気に入らなくとも。それが、歴史の流れなんだから。
米中も、多くの問題を抱えている。中国など、問題だらけ、と言ってもいい。アメリカも負けていない。8日には、こういうこともあった。
アリゾナ州トゥーソンの政治集会で、現職下院議員が銃撃された。要人への銃撃、ケネディー兄弟を持ちだすまでもなく、アメリカ社会の得意技のひとつだ。民主党のギフォーズ議員が銃撃された。

昨年の中間選挙の時、サラ・ペイリンは、オバマの医療保険改革法案に賛成した20人の民主党現職議員に、十字のライフルの照準を合わせた。サラ・ペイリン、彼女のウェブサイトに、それを載せた。アリゾナ州選出のギフォーズも、サラ・ペイリンに照準を合わされたその一人だ。
少しボケているが、ギフォーズの後ろ、アリゾナ州の図形の中にある十字マークがそれである。

アリゾナ州、サラ・ペイリンの息のかかったティーパーティーの動きが活発な州だ、という。だから、こういう人も多い。白人保守層に。税金を使っての医療保険改革なんてマッピラだ、という人たちが多い。
数億丁の銃が国民の手にあるアメリカ社会、”Hate Crime、憎しみの犯罪”、あとを絶たない。
そう言えば、チュニジアでの暴動、瞬く間に広がり、1〜2日で大統領はサウジへ亡命した。長期政権、アッという間に崩壊した。

と、思う間もなく、その余波、北アフリカの各国に広がった。
イエメン、スーダン、ヨルダン、アルジェリア、モーリタニア、北アフリカのアラブ圏の国々に。いずれも、長期政権の続いている国。腐敗の度が進んでいるものとみえる。この図では色は変わっていないが、あのカダフィーのリビアも、すぐに後を追うだろう。

一昨日には、それが、アラブの盟主・エジプトにまで飛び火した。
今日の夕刊では、治安部隊、デモの市民870人を拘束した、と出ていたが、夜のニュースでは、拘束者1000人となっている。
30年近くエジプトに君臨するムバラク、一エジプトの大統領としてばかりでなく、アメリカが中東和平の要としている男である。国内にさまざまな問題を抱えているが、この後、さてどうなるか。他の国はさておき、エジプトの今後の動向、注視する必要がある。
日本では、昨年の参院で問責決議を食らった仙谷由人が更迭され、枝野幸男が官房長官となった。初場所千秋楽の土俵で、枝野が総理大臣杯を白鵬に渡していたが、内閣改造、その前だったんだな。仙谷由人、官房長官なんてどうでもいいが、オレも国技館の土俵に上がりたかった、と思ったのじゃないかな。日本人の男の子、相撲に対する思い入れは、強いんだから。
それより、税と社会保障の一体改革を掲げる菅直人、与謝野馨を一本釣りし、経済財政相に据えた。
ところが、これが不評なんだ。野党ばかりじゃなく、国民からも。与謝野は、消費税を上げろ論者だから、と言って。ある調査によれば、8割以上の人が、与謝野の起用に拒否反応を示している。私には、これがよく解からない。
それでは皆さん、この先、日本をどうするのですか、皆さんは?、と考えるのだ。どうしても。
財政改革よりも、行政改革や経済成長策の方が先だ、という議論は、よく解かる。しかし、今の日本、それだけでは立ちいかない。行政改革や経済成長策と共に、財政改革にも取り組まねば。与謝野馨、それを言っている。それに命を、政治生命を賭ける、と言っている。やらせてみること、必要であろう。私から言えば、国士である。財政改革なくして、今の日本を救えるか。
中には、こんなことを書いている学者もいる。自民党の比例区で当選した人が、自民党を離れ、たちあがれ日本を作り、そこも離れ、今まで攻撃していた民主党政権の閣僚になることは、政党制理論の原則に反する、問題だ、ということを書いていた。
この学者、学校も名前も忘れたが、学者というもの、時々もの解かりのないヤツがいるんだ。政党論はそうかもしれないが、理論よりも実践が大切だ。
消費税の税率アップ、国民だれしもイヤだ。しかし、それを断行せずして何とする。与謝野馨、それを言っている。国民の反対はあろうとも。ポーツマスから帰ってきた小村寿太郎だ、今の与謝野の心境は。私は、大多数の国民の意に反し、その与謝野に期待する。
今しがた、S&P(スタンダード アンド プアーズ)が、日本の長期国債の格付けを、引き下げた、というニュースが流れた。
AA(ダブルA)からAAー(ダブルAマイナス)に。その理由は、来年3月末には、日本の国家債務は、997.7兆円となる。先進各国の中で、財政問題が最も悪化している。さらに、2020年までに、プライマリーバランスの均衡を達成することは、不可能。こういうことのようだ。
与謝野馨、10年後のプライマリーバランスのことも語っている。その為には、ということも。孫子に辛い思いをさせない為に。客観的に見て、消費税は9%、というのが妥当なところらしい。
そういえば、月半ばには、ジャック・アタリが来日していた。
ジャック・アタリ、世界の賢人の一人であろう。ミッテランの智恵袋を永年務め、今は、ミッテランとは対極のサルコジに請われ、その政策への提言を行っている。暫く前、そのジャック・アタリへのインタビューをみた。
ジャック・アタリ、日本の先行きに関しこう語っていた。
正直に言えば、もう遅い。しかし、こうすれば、まだ可能性はある、と。4つのことを成し遂げれば、と。
その「1」は、経済の持続的成長。TPPに反対している政治家には、是非とも聞かせたい言葉だ。特に、亀井静香には。
その「2」は、人口対策。人口を増やすと共に、移民を増やすことを考えるべきだ、と。
その「3」は、歳出削減。今後3年間、毎年10〜15%歳出削減をする必要がある、と。
その「4」は、歳入増加策だ。やはり、今後3年間、毎年10〜15%の歳入増加策をとるべきだ、と。つまりは、増税策をとるべきだ、と語っていた。
この内、3と4は、与謝野馨が言っていることに近いこと。今生きている人には辛いが、私たちが死んだ後の人たちの為には、そうしてあげなければいけないこと。そうするべきだ、と私は思う。

日本表現派展の案内状を貰っていたので、観に行った。知り合いの同会同人、山本宣史の作品、これである。奨励賞を得ていた。
タイトルは、「見果てぬ夢の国」。暫く前、「タイのガウディー」を記した折り載せた写真、サグラダ・ファミリアが描かれている。私の撮った写真とは異なり、クレーンはないが。水墨画で。
F150号となっているが、やけに縦に長い。実は、展示されていたのは、右の部分だけ。図録で見ると、左幅には、ラ・マンチャの風車小屋やトレドと思しき風景が描かれている。だから、縦長だった。外国の風景を水墨で、というのも趣きがある。
そう言えば、多くの人が死んだ。
中でも、山下敬二郎の死が頭に残る。私よりは少し年上だ。彼の歌、何をどう聴いたワケではない。でも、平尾昌章のように、その後、作曲家に転身しヒットを飛ばしたワケではなく、ミッキー・カーチスのように、ハデな面貌でもなく、ロカビリー3人衆の中では、一番ジミだった。
死の何日か前までは、テンガロンハットを被り、歌っていた、という。いい人生だったんだ、山下敬二郎。
ここひと月ばかりのこと、思いつくまま、走り書きした。