北泰紀行(11) タイのガウディ。

黄金の三角地帯へ向かう途中、Tがこう言った。「タイにも、ガウディがいるんだ」、と。
バルセロナの町を歩くと、あちこちにガウディの建造物がある。カサ・ミラやカサ・バトリョといった個人の邸宅や公園もある。しかし、ガウディと言えば、やはり、何と言ってもサグラダ・ファミリアだ。聖家族贖罪教会だ。不思議な造形で埋められた教会。高い尖塔がニョキニョキと天を突く。1882年に着工されてから130年ぐらい経っているが、未だ未完、工事中である。
ガウディが死んでからでも80年以上になるが、その後継者が作業を続けている。ガウディ没後100年となる2026年の完成を目指す、ということになっているが、なーにトンデモナイ、そんな短時間で完成するワケがない。あと50年や100年はかかるもの、と思われる。

この写真、垂直でなく、少し歪んでいるが、4年半ほど前のサグラダ・ファミリアだ。
高い塔が何本も立っている。下の人間と較べてみれば、どのくらい高いかが解かる。だが、この塔、まだ計画の半分もできていない。高さは、ここに写っているものよりは低いものとはいえ。背の高いクレーンが何本も立っている。
サグラダ・ファミリア自体、中に入ると工事現場のよう。建築資材があちこちに積まれている。だから、あと50年や100年はかかる、と私は思っている。
タイのガウディは、チェンマイから北へ走った、チェンライ近郊の街道筋にあった。
本家本元のサグラダ・ファミリアは、キリスト教の教会だが、タイのガウディは、当然のことながら、仏教寺院である。だが、サグラダ・ファミリアがそうであるように、タイのガウディの造る寺院も、古来のお寺とは、その趣きを異にする。
タイのガウディ、名をチャルーンチャイ・コーシピパットという。タイでは著名な仏画家だそうだ。
この男、私財をなげうって、自らが思い描くお寺を造りだした。自らの美意識に基づく、かってないユニークなお寺を。着工したのは1997年、10数年経った今では、本堂の外観は、あらかたできているように思える。

車を降りると、こういう建物が見えてきた。
白い。純白だ。こんなお寺は見たことがない。このお寺、ワット・ロン・クンという。

より近づくと、本堂の前には角のようなものがある。仁王さまのようなものもある。左下に見えるものも、作品だ。

本堂の入口。
屋根には、摩訶不思議なものがついている。チェンマイのお寺にあった、魚の鱗を持つ龍のような架空の動物、ナーカーやマカラーを、現代風にアレンジしたものかもしれない。
本堂内は、撮影が禁止。若い画工が、繊細で、とてもシュールな壁画を描いていた。完成までには、あとどのくらいかかるか想像できないような緻密な作業を。
本堂の両側には、白い彫刻。

その一部に近づくと、このよう。

本堂の屋根、横から見ると、このようである。屋根から突きでた飾り、やはり、通常のお寺のものとは異なる。

このような建物もあった。
中には、土産ものを売っていた。コーシピバット、私財のみでは膨大な建造費には足らず、売上げを建造費の足しにしているのだそうだ。右手には、金色の建造物も。
本堂ばかりでなく、境内に、さまざまなものを造っているのだ。サグラダ・ファミリアと同じく、これじゃいつ完成するのか解からない。コーシピパット、イメージが次々に湧いてくるのであろうから。

このようなものもあった。手だ。コーシピパット、やはり、タイのガウディだ。
救いを求め、六道を輪廻する衆生を暗示しているようにも思える。

ここにも、大きな木があった。
色を塗った木が立てかけられたり、黄色い布が巻かれたりはしていないが、やはり、これもご神木、いや、お寺の木であろう。

少し離れたところに工房というか作業場がある。ここには、観光客も来ない。
この人は、ガラスタイルを加工しているようだった。

この人は、石膏のようなもので、形を作っていた。

この若い女性は、ガラスタイルを貼りつけているようだった。美形、とても可愛い人だった。余計なことかな。

歩いていくと、作業場のブロックの壁に、このようなものが掛かっていた。
字は読めないが、おそらく、ここで働いている人たちであろう。作業工程別にであろう、枠で囲んである。囲みの上の人は、チーフであろう。数えると、30数人いる。
上方の囲みの外の人は、全体を統括する幹部だろう。ひょっとすると、その中の一人は、私財をなげうってこのユニークなお寺を造っている、コーシピパットその人かもしれない。

アキカンに座り、小さなコテで造形をしていた、この若い男に話しかけた。ハニカミながら、こう答えてくれた。
ここで働き初めて6年になる、という。日給は、200バーツ(約660円)、とも言っていた。
この人たちの作るパーツのひとつひとつが組み合わされ、ワット・ロン・クンの全体が完成に向かっていくんだな、きっと。

作業場を出て、帰途振り返ると、本堂の前では観光客が記念撮影をしていた。純白のお寺、ここにしかないのだから。
タイのガウディのイメージも、ますます膨らむであろう、と感じたな。