北泰紀行(1) 古都・チェンマイ。

学生時代からの古い友であるSと、やはり学生時代からの友人・Tを、チェンマイに訪ねる。Sとは、今までも何度も共に旅をしている。気が置けないヤツだ。
バンコクからチェンマイまでは、約700キロ。国際線から国内線への乗り継ぎ、相当の距離を歩かなければならないが、これは仕方ない。4年前開業したバンコクのスワンナプーム国際空港、成田の3倍ぐらいあるそうだ。インチョン、上海、北京、シンガポールなどと、アジアのハブ空港の座を争っているのだから。
チェンマイの空港には、Tが出迎えてくれた。案内されたTの別荘、旧市街から少し離れたところにある。広いその一角、塀で囲まれており、入るには、車の窓からカードキーのようなものを当てるとゲートが開く。そこには、交番のような建物があり、制服を着たセキュリティーガードの男が、車が通るたび敬礼で迎えてくれる。
Tの家、千葉の集合住宅に住む私には、ヘエーと驚く白亜のデカイ家。私に用意された広いベッドルームには、バスタブの付いた広い洗面所が付いていた。Sの部屋には、シャワールームの付いた洗面所はあるがバスタブはなかったが。ただし、いかに広かろうが、デカかろうが、洗面所のトイレはシャワレットではなかった。トイレには、金属製のホースが付いていた。シャワレット、タイにはまだ入っていないようだ。
こうして、タイ北部での私の、王侯のような待遇を受けた一週間は始まった。
チェンマイは、古い都である。2000年前には人々が定住していた、という。歴史に現れるのは1296年、ラーンナー王朝の都として。一時は、今のラオス西部、中国南部、ミャンマー東部を含んだ版図であった、という。その後、紆余曲折はあるが、16世紀半ば、ビルマに敗れ、約200年間、ビルマの支配下にある。その後、ビルマを駆逐した南のシャム王国の版図に入り、今のタイの一部となる。荒っぽく記せば、チェンマイの歴史、こうである。

ラーンナー王朝の都、チェンマイの旧市街は、このような城壁に囲まれていた。

今も、そのところどころ、古い城壁が残っている。

その外側には、堀が囲んでいる。今の堀は、道を作るため、半分ぐらいに狭められたそうだ。
それにしても、チェンマイの町、きれいである。清潔だ。アジアの町では、驚くほどきれいである。4年前、バンコクに4〜5日いたが、バンコクはゴタゴタしていた。アジアの町、あちこち行ったが、これほど清潔な町は知らない。道路にゴミが落ちてない。アジアでこのような町は、私の知る限り少ない。

街中には、タイの国旗が多く見られる。その間に間に見られる黄色い旗は、タイ国王の旗である。

チェンマイの街中、こういう赤い色の乗り合いタクシーが走っている。ソンテオ、と呼ばれているらしい。

赤いソンテオの後ろを、トクトクと呼ばれる三輪のタクシーが走っている。バイクも。それにしても、清潔だ、チェンマイの町は。

デパートの横には、トクトクが並んでいた。
三輪のタクシーであるが、チェンマイのトクトクは、とてもきれい。インドやネパールの三輪タクシー・オートリクシャーは、ボロボロガタガタ、較べようもない清潔さである。ボロボロガタガタのオートリクシャーも、それはそれで、趣きのあるものではあるのだが。

まず、チェンマイの国立博物館へ行った。
ラーンナー王朝期の物、展示されていた。歴代の王様たちの画像も。

博物館の正面。
屋根の飾り、ラーンナー王朝期を模したものであろう。

博物館の入口には、国王の写真が何枚もある掲示板があった。どのようなものか、タイ語で書いてあるので、解からないが。
国王の写真、この後あちこちでお目にかかる。
暫く、タイ北部の紀行、「北泰紀行」を続ける。