この瞳、今も射る。

この25年間、ずっと凝視し続けている瞳がある。
年の頃、12〜3歳のアフガニスタンの少女の瞳。豹を思わせるグリーンの瞳、ジッとこちらを凝視している。突き刺すような、人の心を射ぬくような鋭い瞳だ。
この少女の瞳である。

「オッ、この写真は見たことがある」、という人も多かろう。そう、「ナショナル・ジオグラフィック」誌の1985年6月号の表紙を飾った写真である。
しかし、これは、その写真ではない。絵である。先日、チェンマイのナイトバザールの絵描きから求めたものだ。
初めは、写真を加工したものか、と思った。しかし、よく見ると、「ナショナル・ジオグラフィック」の写真とは、微妙に違っている。頬もどことなくふっくらしている。突き刺すようなグリーンの瞳は、よく似ているが。
もちろん、元の写真を模写したものだ。精密に。聞くと、顔料は、鉛筆とパステルを使っている、という。凄いテクニックである。
それはともかく、元の写真、1984年、パキスタンのペシャワール郊外、アフガン難民キャンプで撮影されたものだ。撮影者は、難民の取材を続けていたスティーブ・マカリー。
この頃のアフガン、国内の混乱を口実に、ソ連軍の侵攻を受けていた。ソ連は、1978年以来、アフガンへ戦車部隊を侵攻させ、空軍による爆撃を加えていた。2〜300万人の難民が、隣国・パキスタンへ逃れ出た。この突き刺すようなグリーンの瞳の少女も、空爆で両親を亡くし、パキスタンの難民キャンプへ逃れた。
この瞳、なぜこのように鋭い。この瞳、我々に何を語る。

1989年、ソ連軍はアフガンから撤退した。しかし、その後のアフガン、内戦状態に入る。そして、2001年の9.11以降、今度はアメリカ軍による空爆が始まる。”テロとの戦い”という名目の。
ターリバーンを相手とする闘い、今も終わらない。米軍を主とする連合軍の。昨年、2010年の米軍を初めとする連合軍兵士の死者は、700人を越えた。アフガン人の死者は、測り知れない。オバマの戦争、となっている。
昨年、2010年末、12月3日には、オバマはカブール郊外のバグラム米空軍基地を電撃訪問、米軍将兵を慰問、カルザイとも電話会談した。16日には、アフガン戦略の概要を公表した。本年初頭には、治安権限をアフガン政府へ移譲し、7月には、アフガン駐留米軍の撤退を開始し、2014年には、戦闘任務を終わる、という。
しかし、はたして、そういうことに、ことは進むのか。はなはだ疑問である。ターリバーンとのアフガンでの戦い、アフガン一国では収まらない。隣国、パキスタンをも巻きこんでいる。昨年、2010年のパキスタンでの自爆テロの犠牲者は過去最高、1224人を数える、という。
アフガンに、パキスタンに、平穏の時は来るのか。いつ来るのか。アフガンの少女の瞳は、今も凝視し続けている。

この瞳の少女の名、シャーバート・ダーラーという。2002年に解かった。17年の歳月を費やして、「ナショナル・ジオグラフィック」が見つけた。虹彩識別で見つけ出した。パン焼きの男と結婚し、子供も3人いる。アフガンに帰っている。1984年には、12〜3歳であった少女、今は、40前になっているであろう。
WHO(世界保健機構)の昨年度の統計によれば、アフガン人の平均寿命は、男が40歳、女が44歳である。男女平均42歳。日本人の平均寿命の約半分。WHO加盟193カ国の中で、ジンバブエと並び、最下位である。
今40前となったこの少女、その後の消息は解からぬが、おそらく健在であろう。女性の平均寿命44歳のアフガンでも、まだそれには至っていないから。
それよりも、この先もずっと、射るような、突き刺すようなグリーンの瞳で、世界中の為政者を凝視し続けるであろう。「お前ら、いい加減にしろよ」、といって。