人生万歳。

なんでもこの男、「私の望みは、世間から孤立することだ」、と考えてんだ。
かっては資産家の娘と結婚し、アッパーイーストサイドの高級住宅地に住んでいたが、今は、下町ロウアーマンハッタンのアパートで気ままに生きている。年の頃は、50代半ば。同じような男たちと、イースト・ヴィレッジのカフェで無駄話をしたり、近所の子供たちのチェスの相手をしては、小銭をまきあげている。
その口から出る言葉は、痛烈でシニカル。世を捨てたい、と思ってんだから、ネガティヴで悲観的でもある。自分は、IQ200幾つの天才だが、周りの連中は、みな尺取り虫なみのオツムしかないバカだと思っている。ボリスという名のこの男、かってはノーベル賞の候補にもなった物理学者なんだが、今は、落ちぶれていると言えばそうも言える、という状況にある。頭もハゲている。
ところがだ、ある夜、彼がアパートに帰ってくると、アパートの前に座っていた若い娘が、「何か食べさせてくれ」、と言うんだ。「帰れ」、と言うが、帰らない。「金がない、泊めてくれ」、とも言う。しょうがない。「そこらへんで勝手に寝ろ」、と言って泊めてやる。
メロディーという名の南部からの家出娘と、元ノーベル物理学賞候補のハゲ男との物語、こうして始まる。洒落たニューヨーク物語だ。

ウディ・アレン、暫くヨーロッパで映画を撮っていた。前作は、「それでも恋するバルセロナ」だった。ペネロペ・クルスが、たしかアカデミーの助演女優賞を取った。だが、それよりも、今、最もセクシーな男優・ハビエル・バルデムが、セクシーな絵描きを演じていた。ハビエル・バルデムが如何にセクシーな男かについては、暫く前、「食べて、祈って、恋をして」でも書いたので、時間のお有りの方は、そちらの方もどうぞ。
この映画「人生万歳」、ウディ・アレンの監督40作目にあたる。で、得意のニューヨークに戻ってきた。”得意”というより、”こだわり”のニューヨークだ。シャレた街だよ、ニューヨークは。特に、ウディ・アレンの手に懸かると、よりシャレる。
映画は、南部から来た21歳の家出娘・メロディー、あろうことか、50半ばの偏屈なハゲ男に魅かれていく。50半ばの世捨て人・ボリスも、初めのうちは、10点満点の3ぐらいだな、と思っていたメロディーの評価、その内、10点満点の4になり、5になり、6になり、7になり、と上がっていく。で、ふたりは結婚するんだ。シャレてんでしょう。
その内、南部からメロディーの母親が訪ねてくる。亭主が浮気をして出ていった、と言って娘の所に来るんだ。保守的な南部のクリスチャンである母親は、娘が年の離れたハゲ男と結婚していることを知り、仰天する。
ところがこの母親、ニューヨークに来て自己に目覚める。男をつくる。それも、同時にふたり。写真の才にも目覚める。ギャラリーで個展を開くようにもなる。ファッションも変わる。ニューヨークの芸術家らしく。
ところが、これでは収まらない。そこへ、亭主が現われる。メロディーにとっては、父親だ。浮気相手とは別れた、お詫びをしたい、と言って。もちろん、保守派のクリスチャンであり、全米ライフル協会の会員でもあるガチガチの南部男だ。
この男、自分の女房がポルノまがいの写真の展覧会を開いていることに、ショックを受ける。しかし、これで終わらないのが、ウディ・アレン、身体のデカいガチガチの南部男、ニューヨークに出てきて、自分がゲイであることに気づくんだ。ゲイの男とも仲良くなる。ニューヨークだ。
で、最後にこうなるんだ。すべては、ハッピーエンドに。

21歳の家出娘は、50半ばのハゲ男と別れ、2枚目の若い男と一緒になる。その母親は、気ままなニューヨーカーとのラヴアフェアーを楽しんでいる。その父親は、ゲイの男との世界に入っている。そして、50半ばのハゲ男、元ノーベル物理学賞候補の男は、2度目の自殺にも失敗、昔のカミさんとの生活に戻っている。
皆さん、ハッピーエンドなんだ。こんな映画を観ていると、久しく行っていないニューヨークに行きたくなってしまう。
この映画の原題は、「Whatever works」。”うまくいくなら、何でもあり”、というもの。ウディ・アレンのシャレた才だ。
ウディ・アレン、こう言っている。「他人を傷つけたり、権利を侵害しない限り、どんなことでもそれを追求するのは、悪いことでも何でもない。だからこそ、うまくいくなら、”何でもありだ”」、と。
恵比寿ガーデンシネマ、この作品をもって幕を閉じる。20年近く、良質の作品を提供してきたが、やはり無理であったか。残念だ。