忘年会。

午前中、信濃町の大学病院へ。手提げにいっぱいの薬をもらう。
夕刻から、学生時代のサークル仲間の忘年会があるため、それまでの時間、恵比寿でウディ・アレンの40作目となる映画を観る。ウディ・アレン得意の洒落たニューヨークもの。
目黒での忘年会、参集者十数名、6時から10時におよぶ。今年、良かったこと・嬉しかったこと、悲しかったこと・寂しかったこと、それぞれ話す。
仲間内で共通の、悲しかったこと・寂しかったことは、絵筆一本で食ってきた島谷晃の死。このような集まりには、必ず彼の姿があった。3月末、目黒川の花見をした後、近場のS宅で宴会をした時には、常に変わらぬオヤジギャグを飛ばしていたのに、その2カ月後には、突然逝ってしまった。
8〜9年前、細君を亡くしたHは、来年、再婚するという。60を越えると、毎年ひとつずつ年が減っていくので、今は53歳だ、と言っていた。元来生真面目、クソ真面目なH、子供たちも独立し、薦める人もあって、とも話していた。パチパチパチ、拍手が起こった。これ、仲間内の慶事である。
寂しくもあるが、嬉しくもある、ということもある。今年、リタイアしたのでそれが、というのは、よく解かる。しかし、連合いの親を亡くしたがそれが、というケースは、微妙である。特に、女性の場合。だが、寂しくもあり、嬉しくもあり、というのは、本音であろう。やはり、よく解かるよ。人間だもの。
次回、皆で集まるのは、花見の時。代々木公園という意見も出たが、その内、次回幹事から連絡が来るであろう。寒波到来だが、なーに、すぐ春は来る。我々の年代、時の過ぎゆくスピードは、ドッグイヤーより速いんだから。
今年、児童文学者の夫君を亡くしたGは、外に出ていた息子が戻ってきて、一緒に住んでいる、と言っていた。息子も本をいっぱい持ってきたので、夫君の蔵書は、資料的な価値があるもののみを残し、あとは処分した、と話していた。書物にしろ何にしろ、それでいい。私も、カミさんにそう言っている。それが、人の営みだ。
自称、3万坪の敷地に住むKから、敷地内で拾ったドングリと、彼女得意の縮緬を加工した小さな作品が配されたセロファン袋を貰った。洒落たデコレーションだ。明日、部屋のどこかにピンで止めておこう。
今年の忘年会、これで終わり。