ハーブ&ドロシー。

世の中には、何を考えてるのか解からない人もいるが、凄いなこの人はという人もいる。
いったい何考えてんだという人は、今日、朝鮮半島西方海域の北方限界線近く、延坪島を砲撃した北朝鮮のピョンヤンにいるようだが、凄いな、エライなこの人はという人は、ニューヨークにいる。
ニューヨークに、ハーブとドロシーという老夫婦がいるんだ。
ハーブは、もう90近い。高校を中退した後、郵便局で定年まで働いた。女房のドロシーは、まだ70代半ば。大学院で学んだ後、やはり定年まで図書館司書をしていた。足が弱り、杖をついているハーブの手をとって歩いている。ごく普通のオジイちゃんとオバアちゃんだ。
この2人の共通の楽しみは、コンテンポラリー(現代)アートのコレクション。郵便局や図書館に勤めている頃から、これは面白い、というものをバンバン買っている。その基準は、ふたつのみ。これが、まず凄い。
自分たちの給料で買える範囲の値段であること。そして、1LDKのアパートに収まるサイズであること。このふたつ。
そうだ、忘れない内に言っておこう。「ハーブ&ドロシー」、映画のタイトルである。日本では、各都市、せいぜい1週間程度の単館上映だが、ニューヨークでは、17週のロングランを記録した、という。数々の賞も受けている。監督は、ニューヨークに住む日本人女性ドキュメンタリー作家、佐々木芽生。

東京では、渋谷のイメージフォーラムのみ。
このオジイちゃんとオバアちゃん、姓は、ヴォーゲルというのだが、彼らの凄さのふたつ目は、集めているものが現代アートとはいっても、ミニマルアートやコンセプチュアルアートといわれるものばかり。ミニマルやコンセプチュアルは、いってみれば”何じゃこれ”、という人も多いアートである。
ただ線が引いてあったり、色がだんだらに塗ってあるのも、ミニマルアートといえばミニマルアートである。3カ月くらい前に触れたマルセル・デュシャンも、広い意味ではコンセプチュアルアートである。
もちろん、ヴォーゲル夫妻、デュシャンなどは持っていない。何しろ50ドル、100ドルという、自分たちの給料で買えるのもしか買わないのだから。そのほとんどは、誰も相手にしない、無名のアーティストのものなんだから。しかも、1LDKのアパートに収まるもの。
ところが、ここからが、また凄い。このふたりがコレクションしていく作家が、次々と大作家になっていく。作品の値段もドンドン上がる。見る目があるんだ。アートを見分ける眼力が凄いんだ。
日本では伝説の作家となった、河原温の作品も出てきた。現代美術に関心をお持ちのない方には、誠に申しわけございませんが、私のこのブログ、現代美術が好きな人も、幾らかは見てくれているようなので、1〜2行だけお許しを。
1968年1月21日、メキシコから投函された、ヴォーゲル夫妻宛てのハガキ。「I GOT UP AT 6.03 A.M.」、と描いてある。コンテンポラリーアート好きなら、皆欲しくなる河原温の日付け作品だ。

ニューヨークのアートシーンで、このふたりは有名になっていく。ともかく、凄いオジイちゃんとオバアちゃんがいる、といって。
彼らの集めたアート作品の価値は、ドンドン膨らんで行く。しかし、そんなことは、ふたりにとってはどうでもいいことなんだ。永年の間には、バブルもあれば、それがはじけた時期もある。そんなこと、何も関係ないんだ、ふたりには。このふたり、ドンドン買うのだが、一切売らない。どんなに値が上がろうとも。
「子供はいないけど、アート作品に囲まれて、猫や亀、そしてお互いがいるから幸せ」、と言っているんだ。
猫といえば、クリストとジャンヌ=クロードの作品も、猫がらみで持っている。オジイちゃんとオバアちゃんのふたりが、クリストとジャンヌ=クロードのアトリエを訪れた時には、彼らの作品を買うことができなかった。もう手の届かない値だったんだ。「来るのが遅すぎたな」、と言って帰る。
しかし、その後、クリストとジャンヌ=クロードから、「作品をあげる」、と言ってくる。猫を暫く預かってくれれば、と。猫好きのふたり、彼らの猫を暫く預かり、彼らの作品を貰う。洒落た話だ。
しかし、それもこれも、このオジイちゃんとオバアちゃんの現代アート好きが、アーティストをも惹きつけているからに他ならない。
ニューヨークのギャラリーや、有名な大作家となったアーティストも、このふたりがアトリエに来ると、破格の安値で作品を譲る。ハーブとドロシー、ふたりの現代アートのコレクションは、凄いものとなっていく。億単位のものとなっていく。安い値段で、眼力のみで集めた作品が。
あちこちの美術館から、作品を譲ってほしい、との誘いがくる。だが、彼らは、すべてはねつける。自分たちの楽しみで集めているのだから、売る気なんてまったくない。しかし、その内、ワシントンのナショナルギャラリーの学芸員が訪ねてくる。
その学芸員、彼らの部屋に入り驚く。これは大変だ、と思う。1LDKとはいっても、日本の集合住宅のそれよりは、広い。そうは言っても、何しろ、壁はもちろん、床の上にも現代アートが山積み、足の踏み場もない。
火事にでもなったら、どうするか。また、魚の水槽(このふたり、魚も飼っている)が壊れたら、貴重な現代アートが失われてしまう。ナショナルギャラリーへ寄贈してくれないか、と話す。
ハーブとドロシーのふたり、どんなに作品の値があがろうとも、1点たりとも売らなかったが、ナショナルギャラリーへ寄贈することに決める。自分たちは充分に楽しんだ。このコレクションを多くの人にも楽しんでもらいたい、と言って。
ハーブとドロシー、ふたりのオジイちゃんとオバアちゃん、凄い。エライ。

ナショナルギャラリーの学芸員が、この量じゃ引っ越し用のトラックが1台半ぐらい必要だな、と考えていた作品の量、実際には5台になった。何しろ、彼らが集めた現代アート、その数、4000点となっていたのだから。
ところが、その後が、また面白い。ワシントンのナショナルギャラリー、何億のコレクションを寄贈してもらったのだが、考えてみると、あのふたり、この先アパートを追いだされるかもしれない。年も取っている。病気になるかもしれない。その時のために、謝礼を出すんだ。おそらく、寄贈されたものの評価額の1/10程度の数千万程度であろう。
だがしかし、ハーブとドロシーのふたり、その金で、また現代アートを買いまくるのだ。イメージフォーラム、小さな映画館だが、この時には、笑い声が、ドッと館内に響いた。何しろ、好きなことしか頭にない。住む所や病気になった時のことなど、気にしない。あくまで、凄くて、かっこいいオジイちゃんとオバアちゃんなのだ。
その後日譚を記して終わろう。
ナショナルギャラリーには、1000点程度しか収容できないことになる。で、どうするか。全米50州、それぞれの美術館へ50点ずつ、、この凄くて、エラく、痛快なオジイちゃんとオバアちゃん、ヴォーゲル夫妻コレクションを振り分けているそうだ。
それが、どのようなものであるのか、どこの美術館へ、どんな作品が贈られたのか。「VOGEL 50×50」というサイトで見ることができる。