寂寥感。

昨夜のスポーツニュース、敗れた野村忠宏の顔は、蒼黒く見えた。その眼は、宙を漂っていた。
柔道講道館杯、60キロ級、野村忠宏は、2回戦で敗れた。野村忠宏、来月には36歳になる。その野村を合わせ技1本で破った志々目徹は18歳。ジュニアの世界チャンピオンではあるが、野村の全盛期には、まだ小学生の子供。野村忠宏、自らの力の衰え、思い知らされたことだろう。
野村忠宏、1996年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネ、オリンピックで3連覇を成しとげた。オリンピックは、4年に1度、あの無敵の谷亮子や、負け知らずの女子レスラー、吉田沙織でさえ、2連覇まで。日本のアスリートで、オリンピック3連覇という選手は、野村忠宏以外にいないはずである。
それも、ほとんどは1本勝ち。オリンピックでの1本勝ち比率、8割ぐらいじゃないか。いかに動きの速い60キロ級の試合であるとはいえ、驚くべき数値である。技が切れた。特に、背負いのような担ぎ技の切れは、群を抜いていた。
アテネで金を取った後、暫く試合から遠ざかっていたが、2006年、現役続投を表明、北京での4連覇に狙いを定める。その時の野村、31歳となっていた。柔道家としては、力の落ち始める年齢である。
北京オリンピックへの代表選考を兼ねた、2008年4月の全日本選手権、野村忠宏は準決勝で敗れる。代表には選ばれず、オリンピック4連覇の夢は、無残にも消えた。代表には、昇り盛りの若手、平岡拓晃が選ばれた。平岡もいい選手である。技も鋭い。しかしこの時、私は、野村忠宏を北京へ出してやりたかった。当時、そう思った人は、多くいた。
実は、この選考会を兼ねた全日本選手権、決勝戦ではあったが、谷亮子も敗れた。しかし、谷は代表に選ばれた。決勝に進めず準決勝で敗れたのではあるが、野村忠宏も出してやれ、私は、そう思った。野村忠宏のオリンピック4連覇、その夢に賭けたのだ。
おそらく、この時、仮に野村が選ばれても、連覇の確率は5割には満たなく、2〜3割というところだったのだろうが。それでも、野村にその夢を見せてやりたかったし、私もその夢を見たかった。
野村の時代は終わった。誰しもがそう思っていた。ところが、去年の初め、野村は、またもやロンドンを目指し、現役続行を表明する。野村忠宏、34歳になっていた。その頃だったか、その後だったか、野村は、全柔連の強化指定選手からも外される。
強化指定選手を外されると、その選手の活動、厳しいものとなる。海外の試合にも、自費での参加となる。たしか、今年夏のモンゴル、ウランバートルで行われたワールドカップにも、野村は、自費で参加しているはずである。ともかくポイントをあげ、全柔連の強化指定選手に返り咲き、ロンドンを目指す。野村忠宏、その思いで生きてきたに違いない。少なくとも、昨日までは。
しかし、昨日、自分の年の半分しか生きていない、ジュニアの選手に1本負けを喫した。ロンドンへの道は断たれた。
今日の新聞を見ると、天理大での野村の師である細川伸二は、「衰えたね」と語っている。また、全柔連の強化委員長の吉村和郎は、「往年の力は、もうない」と言いきっている。
なにより野村自身が、負けた後、「弱くなったなあ」との言葉を吐いている。
どのような分野であろうと、「オレの力は落ちたな」とか「若いヤツが出てきたな」、と思った時は、身を引く潮時だ。もう、復活はできない。アスリートの場合は、なおさら、そうである。ましてや柔道という1対1で争う格闘技の場合は、何にもまして、そうである。
野村忠宏、引っぱりすぎた。少なくとも、4年遅すぎた。思いが、強すぎた。
今日の新聞の写真、また、昨日のテレビの映像で見た野村忠宏、寂寥感を漂わせている。あの野村が、ここまでやらなくても、という寂寥感を。
そして今、私は、鈴木桂治のことを考える。
2001年の全日本柔道選手権、今、日本の男子ナショナルチームの監督をしている篠原信一の4連覇を、井上康生が阻んだ。2004年の全日本選手権、その井上康生の4連覇を阻んだのが、鈴木桂治であった。
鈴木桂治、その翌年も連覇する。しかし、その翌年、あの石井慧に敗れる。だが、その翌年、石井を破り、チャンピオンへ返り咲く。だがしかし、そのまた翌年、2008年だが、またもや石井に敗れる。北京で、石井慧は金を取り、鈴木桂治は1回戦で敗退する。
鈴木桂治、まだ全柔連の強化指定選手には入っている。しかし、30を越えた今、柔道家としての力の衰えを、日々感じているはずである。18の男に1本負けを喫した野村忠宏の宙に浮く視線を見た鈴木桂治、今、何を思っているのだろうか。