スキ。

「そうですね、・・・・・まあ、もうちょっと行きたかったかな。・・・・・少し、相撲の流れにスキがあった」。
「63の白星があってということだから、もうひとつ伸ばしてやろうと、・・・・・勝ちにいった。・・・・・スキがあったということじゃないですか」。
「これはこれで、・・・・・・・・・・・・・・・しょうがない」。
白鵬が敗れた。
今日の土俵入り、風格があった。安美錦と旭天鵬を従えた不知火型の土俵入り、風格、余裕、充実という言葉より、今日は、ひときわ美しく感じた。よもや、稀勢の里に敗れるとは、思わなかった。
初日の昨日、稀勢の里は、ヘタな立会いをした把瑠都につけこめず、まわしを取られ、力負けしている。
初日のレギュラー解説者、北の富士と舞の海も、この勝負について、何のコメントも発しなかった。「稀勢の里も情けない。国民の期待を背負ってるのに。大関候補なんて、夢のまた夢だ」、とも何とも。稀勢の里が力負けしても、それが当たり前、というような態度。私ばかりでなく、そう感じたテレビ桟敷の人は多かっただろう。
その稀勢の里に、白鵬が敗れた。
白鵬、はり差しで、まわしを取りにいった。稀勢の里、白鵬に組ませず、右手で白鵬の左頬をはる。その後も何度か、稀勢は白鵬の顔面をはった。まわしを許さない。白鵬、冷静さを失った。まわしを取っていない下手から投げを打ったり、内掛けにいったり、と。最後は、態勢を崩され、寄り切られ、土俵下へふっ飛ばされた。
土俵下の白鵬へ手も延ばさず、稀勢の里は、”どうだ”という顔をした。転げ落ちた相手に手を貸さないのは、稀勢の里にとってはいつものこと。このガッツが、稀勢の里の魅力のひとつなんだから。久しぶりに、稀勢の闘争心を見た思いがした。
それでも稀勢、後のインタビューで、「まだ、気持ちの整理がつかない」、と語っているが。今日の一番、並みの気合いではなかったのだろう。
白鵬、角聖・双葉山の記録を抜き去ることは、成らなかった。
今の角界、白鵬と他の力士との力の差は、歴然。誰しもが、白鵬が相撲の神様、角聖・双葉山の記録を破るであろうこと、疑わなかった。おそらく、白鵬自身も、それを疑わなかったろう。
暫く前までは、双葉山が、昭和11年1月場所から、14年1月場所まで、3年かけて打ち立てた偉大な記録、69連勝を、たった1年にも満たない期間で破られることに、ウーンという感じを抱いていた人もいる。何よりも、相撲の神さまの記録を、そんなに簡単に、という思いがあった。私も、そう考えたことがあった。
しかし、今場所が始まる頃には、そういう気持ちが薄れた。なくなった。私も、おそらく、多くの好角家も。白鵬ならば、神さま、角聖・双葉山の記録を破って不思議ではない。白鵬が記録を打ち立てるのを見たい、と思うようになった。
しかし、上手くいかないものだ。夢は、潰えた。
さて稀勢の里、これで、双葉山の70連勝を阻んだ安藝ノ海と共に、記憶に残る力士となった。
その安藝ノ海、双葉山を倒した4年後、横綱を張っている。今日、白鵬の連勝を阻んだ稀勢の里も、安藝ノ海に倣うことはできるのか。稀勢の里の故郷・茨城県では、その期待が高まっているようだ。特に、生れ在所の牛久では、「稀勢、これで一気に横綱だ」、なんて声も出ている。その稀勢、さてどうなるか。
稀勢に敗れた後の白鵬、冒頭の言葉を語っている。だが、”木鶏”、という言葉は、使わなかった。
たしかに、あと少し、というところまで近づいた。しかし、相撲の神様、角聖・双葉山と、自分との間には、まだまだ大きな溝がある、と自覚しているんじゃないか。だから、”木鶏たりえず”、なんて言葉を使うのは百年早い。まだ自分には、”スキ”がある状態なんだから、と。
そう思っている白鵬、まだまだ相撲の神様に近づく可能性はある。これからが、白鵬の全盛期でもあるし。
白鵬、最後に、こう言った。「これが、負けか」、と。