爆弾。

中上健次は、若くてイキのいいヤツが出てくると、ボコボコにする癖があった。
なにしろ、身体はでかい。腕力も強い。見るからに獰猛。実際に殴られたヤツは多かっただろう。手は出さないまでも、口でボコボコにする。もっとも、コイツは、という見所のあるヤツだけだろうが。
村上龍が芥川賞を取った直後、角川の「野性時代」で、ふたりの対談が持たれている。1976年のこと。2〜3カ月の間を挟み、3回に渉り。翌年、書籍化されている。
タイトルは、『ジャズと爆弾』。サブタイトルには、「俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、ーー」。中上健次VS村上龍、と表紙に刷りこんである。
初っ端、「いくつ違うんですかね、君と僕は?」、という中上の言葉から始まる。中上健次は、昭和21年生れ。村上龍は、昭和27年生れ。6つ違うんだ。しかし、処女作で芥川賞を取った村上龍と、10代の頃から小説を書いている中上健次、そのキャリアははるかに違う。中上、兄貴風を吹かす。村上の才能を認めつつ。中上、攻める。
中上、フック、アッパー、ストレート、とパンチを浴びせる。インファイトの連打を。村上は、足を使ったアウトボクシングで応じ、ここぞというところでカウンターを狙う。村上、機を見ては、中上の懐に飛び込み、ボディーをフックで連打し、離れ際、中上のチンめがけてアッパーをくり出す。新人の村上龍、ハードパンチャーの中上健次相手に、なかなか善戦をする。
この10年ぐらい後、どこで見たのか忘れたが、中上が、当時売出し中の、島田雅彦と対談したものを読んだことがある。ハードパンチをくり出す中上に対し、島田雅彦、やはりアウトボクシングで応じていたが、歯が立たなかった。中上に殴られっぱなし。ボコボコにされていた記憶がある。
金井美恵子に、『目白雑録』という書がある。”ひびのあれこれ”、とルビがふってある。朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」に連載しているものを、書籍化したもの。人気があるのだろう、もう3冊も単行本になっている。これが面白い。シャクではあるが、私の「流山子雑録」の千倍、いや、一万倍くらい面白い。
出てくる面々、ま、そのほとんどはもの書きだが、その9割以上は、ことごとく切って捨てられる。袈裟斬り一閃、一刀両断。書評で、金井美恵子の書を褒めた男を、”コイツの読み方はなってない”、と言ってバッサリと斬っていた時には、その評論家に同情した。
なにしろ、”私よりも上手いもの書きはいない”、と公言している金井美恵子、どんなヤツにも容赦はしない。だから、周りの野次馬には、面白い。
その金井美恵子の『目白雑録』の中で、最も多く斬られているのが、島田雅彦なんだ。今、生きているのが不思議なくらい。刊行されている3冊、そのどの巻にも出てくる。1巻で、2〜3度斬られているのもあったかもしれない。ボロクソ、メタメタにやられている。
なにやら、中上健次VS村上龍の話が、横道に逸れ、島田雅彦の話になってきた。中上健次VS島田雅彦のことからだ、横道に逸れたのは。ケリをつけよう。色男の島田雅彦、恐いお兄さん方や、怖いお姉さん方に可愛がられるタイプ、そういう癖があるんだ、きっと。
本筋に戻る。『ジャズと爆弾』という本のことに。
『限りなく透明に近いブルー』が芥川賞を取ったすぐ後の対談だから、すぐに、「レフト・アローン」が出てくるのは、当然。マイルス・デイヴィス、アーチー・シェップ、コルトレーン、なんて名が出てくる。しかし、ジャズの話はあまり出てこない。タイトルに、『ジャズと爆弾』とつけておきながら。映画、ドラッグ、小説の話は多く出てくる。
『ジャズと爆弾』というタイトルの、”ジャズ”は、ジャックだが(いや、漢字で書かなきゃいけなかった。惹句、の間違いです)、”爆弾”は、看板に偽りなしだ。
中上 僕は、自分の小説は爆弾として扱われたいというところがあるな。それでかなわなかったら、具体的に、現実に行くかもしれないけど。・・・・・爆弾ってどう思います? 爆弾闘争とか。
村上 だから、関係ない人まで殺すのはよくないとか、そういうことは僕は絶対言わないけども・・・・・。
中上 びっくりした。言うのかと思った。(笑)
村上 だからね、僕がレバノンに行って、・・・・・僕はそこにいて死んでも、それはしょうがないと思う。
中上 だけど、自分で仕掛けようという気持ちはないの?
村上 だって、・・・・・そこまで無責任に話せませんよ。
中上 無責任でいいんだよ。責任取れるはずないじゃないか。だれが責任とれる?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
村上 僕はどこかでエスタブリッシュメントの回路を断たないとだめだと思うんです。
中上 エスタブリッシュメントがなんで面白くないかというと、こっちに強い権力というのがあって、どこまであばれていいよという保証付きなんですね。その保障を取っちゃえと。いやなんだってことね。・・・・・一人で俺は行くんだみたいなさ。
こうして、ふたりの話の一部だけを取り出してみると、さほどの爆弾とも思えなくなるな。昨日、今日、報じられているイエーメンのアルカイダの爆弾には、ほど遠い。で、ふたりの、「後記的エッセイ」から、少し引こう。
まず、村上龍。
<小説でも書いてみようかと言う人は、必ず内部に異物を飼っている。その異物を許す許さないの闘いが文学だと思う。中上健次が飼っている異物はとりわけ獰猛な一匹だ>。まさに、そう。
次いで、中上健次。
<古いものの否定、破壊。村上龍によって私の中にある否定の衝動はさらに強まった。古いもの、つまった下水管のような感性、それらを爆破せよ>。中上健次、いくばくかは爆破した。だが、爆破し尽くさぬうちに、死んだ。