酷い。

おぼろげな記憶であるが、「若さは、あまりに酷い」だったか、「・・・・・酷すぎる」だったか、そういう言葉があった。
中上健次の言葉だったか、中上の作品についての言葉だったか、定かではない。だが、中上がらみの言葉。
中上健次が芥川賞を取るのは、村上龍が取る前年、1975年。それまでに何度も芥川賞の候補にはなっており、中上、29歳の時である。10代の頃から、小説を書いていた中上健次、その頃には、十分なキャリアを持っていた。だから、上の言葉も、より初期、20代初めの中上の言葉、ないしは、中上の作品を指した言葉である。
中上健次の芥川賞受賞作・『岬』は、中上の原点、紀州熊野の路地の物語、強烈な存在感を持つ小説である。とても清冽な印象も受けるが、ドスーン、というような衝撃を受ける。ともかく、この時、日本文学は、その土壌に、さほどの時を待たず、とてつもない巨木となる苗木を植えつけた。
中上健次、受賞の言葉でこう語っている。
<言ってみれば、書きたくてしょうがなかった小説だった。ずいぶん昔から、まだ力がない、まだ駄目だ、と、はやる腕を、筆を、おさえてきた。書きあげて、ゲラ刷りになった小説を読んで、ぼくは、一人、部屋で泣いた。暑いさかりだった。よく、いままで、じっとがまんしてきたと、自分の小説家としての男気を、汗のような涙で、慰めた。その小説が、芥川賞をいただいた。・・・・・うれしい>、と。
何度も逃した芥川賞をついに取った、という高揚感、日本文壇に足を踏み入れた、よしっこれからだ、という闘争心が、読みとれる。
それはそれとして、ジャズがらみの話。
中上健次の初期の作品に、もろ、『JAZZ』という短編がある。
中上健次が、19か20の時の作品だ。この頃の中上、故郷、紀州熊野を出、新宿近辺にいたようだ。『文藝首都』に依り、小説修業をしていた。もちろん、新宿のジャズ喫茶にも入り浸っていたことだろう。
その『JAZZ』、短い小説だが、10章+α、という構成。こういう言葉が、途切れ途切れに出てくる。
<俺たちは死んでいる。・・・・・そこは沼だった。ジャズの狂ったリズムに形而上学の思いをひめて、ゆるやかに落下するロココ風のラムプがあった。・・・・・コークは石灰色にセロニアス・モンクの指先で現在に還元された。・・・・・JAZZ、JAZZ、SOUL、JAZZ、響け、叩け、ドラム。小人族の戦の踊りのように、何万人も死んだあの未来のために>。
もう少し、引こうか。
<女は百万回欠伸をもらし、マックス・ローチの主張に抗議した。黄色のラムプはたまり場の若者たちに産毛をほどこす。・・・・・・JAZZの響きをかすかに残し、俺は雑踏の中を、駅にむかって歩いた>。
後年の、『岬』の系統とは、まったく異なるものであるが、60年代半ばの19か20の若者の作品、たしかに、こうだ。
まだ、ニューヨークに行ったことはなかっただろう。だが、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジやビートニクに憧れを持っていたに違いない。この10数年後には、その存在、弥増していく作家となる中上も。
この20数年後、京王プラザで催された、ゴールデン街の顔・「まえだ」のママの癌からの生還を祝う会で見た中上健次、その存在感は、ひときわ大きくなっていた。
なにしろ、この頃、80年代の後半、中上健次は、日本の作家として、次のノーベル賞を貰うだろう3人のひとり、と言われていたんだから。
その3人は、安部公房、大江健三郎、そして、中上健次だった。もちろん、村上春樹も書いていた。しかし、村上春樹が、なんて話はまったくない時代。考えもしない頃だった。
しかし、1992年に中上健次は、死ぬ。翌1993年には安部公房が死ぬ。そして、その翌年、1994年、大江健三郎がノーベル賞を取った。
まあ、大江健三郎の後とはなったろうが、中上健次があと10年生きていれば、ノーベル賞を取ったであろう。
中上健次が死ぬ半月ぐらい前の朝日新聞に、中上の文が載った。写真も添えられていた。あのいかつかった顔が、げっそりとしていた。抗癌剤の影響を隠すためであろう、キャップを被っていた。不確かな記憶であるが、こういうことを言っていた。
<残念だ。自分は、日本文壇の谷崎になろうと思っていた。なりたかった。しかし、それは叶わなくなった。残念だ。・・・・・>、と。案外長い文章だったような気がするが、他は忘れた。だが、日本文壇の谷崎になりたかった、というところは憶えている。残念さ、無念な気持ち、よく出ていた文章だったような思いがある。
中上健次、今、存命でも60代半ば、おそらく、そうなったであろう。筆力はもとより、腕力、胆力、なにより、オレはこうなる、という強い意志を持ったもの書き、他にいないもの。
中上健次、46歳で死んだ。生きていれば、ノーベル賞も取っただろうに。
”あまりに酷い”か、”あまりに酷すぎる”かは、忘れたが、酷いのは、若い時ばかりじゃない。