ジャズと軍歌。

マイルスのことを書いていたら、小沢昭一がジャズについて語っていたことを思い出した。
マイルスと小沢昭一、ほぼ同年代だが、もちろん、モードジャズやフリージャズのことではない。昭和初期、戦前のジャズのことだ。小沢昭一の話を、民俗学者の神崎宣武が聞き手として、話を引きだしていった書がある。ここに出ている。
タイトルは、『道楽三昧 遊びつづけて八十年』(岩波新書、2009年刊)。
元々は、岩波の『図書』に、1年間掲載されたもの。生れてこのかた80年、ずっと遊び続けて、というものだから、書中、こういうことも話している。「よくぞ岩波で・・・・・」、「まあ、いい時代になったんですね」、「そういうことなんですよ」、と。
その小沢昭一の道楽三昧、「虫とり」、から始まり、「べいごま・めんこ・ビー玉」、さらに、「大道芸」、「俳句」、「競馬」等々、12章にわたり語られている。
もちろん、「○む・○つ・○う」、のことも当然だ。この”○”のところに入る漢字ひと文字、小沢昭一をご存じの方には、お解かりですね。ご存じじゃない謹厳実直なお方でも、すぐお解かりでしょう。小学校で習う漢字ですから。
ところが小沢昭一、この内、”飲む”だけは、まったくダメなんだそうだ。訓練をしたが、どうしても体質に合わない、と言う。残りのふたつは、体質に合っていたそうで、特に、最後の”○う”は、私の体質にとてもよく合っていた、と話している。
その中に、「歌」という一章もある。
小沢昭一、多くの書を上梓している文筆家であり、俳人でもあるが、歌手でもある。まあ、本業は、横に置いて。
小沢、生れは、下谷根岸だが、小さい頃蒲田に移り、蒲田で育った。まだ軍国調の色彩が強まる前の昭和初期には、ジャズの時代だったそうだ。<東京の蒲田には、ちょいとハイカラな風も流れていて、ジャズをよく聴きました>、と言っている。
<近所にカフェー街がありましたから、ジャズはそこからどんどん流れてきました。子供ごころにもいいなと思ったのは「マイ・ブルー・ヘヴン(私の青空)」です>、と語っている。”夕暮れにー 仰ぎ見るー”という歌、おそらく、50以上の人しか知らないかもしれない。ゆったりとした歌だ。しかし、明らかに、歌謡曲とは違う。昭和初期のジャズだ。
しかし、だんだん戦時色が強くなる。軍歌の時代になる。
<どの軍歌をみても、みんな「死ね」という歌なんですよ。「生きろ」という軍歌は一つもないんです。どれもこれも「お国のため天皇陛下の御ために死ね」という歌づくしなんです。・・・・・こんなばかなことで、みんな死んだのかということが、ひしひしとわかるんですね>、と語る。
だから、軍歌のばかばかしさは、反戦歌にもなると思って、軍歌を反戦歌として歌っているそうだ。そのCDも出した、と言う。
しかし、その時代でもジャズっぽい(小沢の言葉では、ジャズチック)なものはあった、と言う。戦争協力的な文句をまぶしながら、自分たちのジャズ的精神を発揮していた、と。
川田義雄(のちに晴久)ら4人組の「あきれたぼういず」がいっぱいレコードを出していた、と言う。そういうものを。
例えば、こういうもの。
<”それ進め ひびく進軍ラッパだぞ ワーワ / とっても元気だよ ワーワ / にこにこ笑いましょ ワーワ ・・・・・”
なんて、ジャズのリズムで始まって、ここから川田義雄のギター浪花節になって、
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ってジャズに乗せて、また浪花節になる。
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というふうに、自分たちのやりたいジャズ的センスと、そうやらないとレコードが出ないという戦時色をうまいこと混ぜてスリ抜けているっていうのが、・・・・・・・智恵の深い仕事ですよ。・・・・・>、と少し解かり難いが、話している。
小沢昭一、反醇風美俗を標榜する男であるが、反戦を謳う男でもある。