学問。

週に一度、近所の学校へ行っている。仕事を辞めた後、暫くしてからだから、もう3年以上になる。
1時間半の授業を受けているが、聞いたことは、右の耳から左の耳へ通り抜ける、というのが実情である。、勉強なんてものとは、ほど遠い。まあ、散歩の延長である。授業料も安いし、できが悪くても、怒られることはないし。気楽なもの。
しかし、いいこともある。図書館が使える。で、時折り、授業が終わった後に寄る。小さな学校とはいえ大学図書館、市の図書館などとは趣きの異なる書籍がある。新聞も、内外各紙がある。
今日も少しの時間寄ったら、新聞の一面がズラッと並んだ棚に、一紙だけ目立った新聞がある。産経新聞だ。今日の一面トップ、日経はもちろん、朝毎読の全国紙すべてが、日銀のゼロ金利復活だ。4年3カ月ぶりのゼロ金利政策への復帰の記事。それが、当然であろう。
ところが、産経の一面トップは、菅直人と温家宝の廊下会談を、まだ追ったもの。「自画自賛の”茶番会談”」、との大きな横見出しが、躍っている。
さすが産経、わが道を行くだな、と思う。日銀のゼロ金利復活の記事は、その下に小さく載せられている。
Herald Tribune の国際版でさえ、一面トップではないが、2番目の記事として、「日本の公定歩合は、どん底になった」、と報じているのに。なお、同紙の一面トップは、パキスタンで起きた、アフガン駐留NATO軍への燃料輸送車隊が武装集団に襲われた事件にからむ記事。日本の新聞では、小さく報じられただけだが。まあ、内外、事情が違う。
また、人民日報の海外版は、2日付けのものしかなかったが、一面トップは、前日の国慶節の模様。
去年は建国60周年で大がかりであったが、今年はさほどの行事はなかったようだ。正午に、天安門広場の人民英雄記念碑に、胡錦濤や温家宝をはじめとする首脳陣が献花している写真と記事。次いで、国慶節に合わせてであろう、月探査衛星「嫦娥2号」の打ち上げが成功した、との記事がある。
それはともかく、産経の中面を見て、また驚いた。三面に、小池百合子が、昨日、こういうことを言った、という記事がある。
平成9年3月3日の産経新聞に、江藤淳が、「帰りなん いざ 小沢一郎君に与う」、という文章を書いているそうだ。小沢一郎が、新進党党首時代で、小沢の手法でゴタゴタした時のこと、江藤淳、こう書いている、という。「議員辞職して、水沢へ帰り、捲土重来を期してはどうか」、とのことを。小池百合子、小沢よ、この記事を読め、と言っている、という記事だ。
アレッ、引退して、水沢へ帰ったほうがいいとは、昨日私が書いたのと同じじゃないか。13年前に、江藤淳が、そんなことを書いていたなんて知らなかったが。
私は、もう引退して、との立場だが、江藤淳は、捲土重来を期して、と言っている違いはある。小沢の学校の先輩でもある江藤淳、幾ばくかの惻隠の情もあったのであろう。
それはそれとして、私の思っていることと、産経が言わんとしていること、いつの間にか似てきているのかな、と思い、少しヘンな気がした。産経など、たまにしか読まないが、他紙とは違う側面、たしかにある。
その後、古本屋に寄り、喫茶店で、買った本を少し読み、夜、家に帰ると、ノーベル化学賞を取った、というニュースが流れている。北大の名誉教授とアメリカの大学の特別教授の日本人ふたり。凄い。嬉しくなる。
同じ学校がらみでも、散歩の延長で、学校に遊びに行っている私と、学校で学問をしている学者とは、月とスッポン、なんて馬鹿なことを、不遜にも考える。
そんなことより、実は、今年のノーベル賞、医学生理学賞で最有力と言われていた京大教授、iPS細胞を作成した山中伸弥という人が取れなかった時、少しガッカリした。今年は、ダメなのかな、と思っていた。それが、ふたりも取った。北大の鈴木章先生とアメリカのパデュー大学の根岸栄一先生。これで、日本人の受賞者、合計18人になった。
ただ、いつも思うのだが、少し残念なことがある。何とかしてくれないか、ということが。
鈴木先生はいい。日本の北大の、と発表されているから。だが、根岸先生は、USAのパデュー大学の、と発表されている。音声でも、字幕でも。日本では、日本人の根岸先生と解かるが、外国の人は、ミスター根岸は、アメリカ人だと思う人がほとんどであろう。たしか、江崎玲於奈の時も、利根川進の時もそうであったが、この点が残念だ。
ケチくさいことを言うな、という意見もあろうが、日本人として、やはり、残念。
せめて、アメリカのパデュー大学で研究をしている、日本人の根岸栄一教授という発表にしてもらえないだろうか。今後のこともある。菅直人、日本国政府として、ノーベル賞選考委員会か何かに、この点、申し入れたらどうか。
ノーベル賞は、やはり特別。国民を勇気づける。毎年、という贅沢は言わないが、2年に一度ぐらいは取ってほしい。
今年は、もうこれで十分だ。来年か再来年ぐらいに、iPS細胞の山中教授に取ってもらい、村上春樹には、その2年後ぐらいに取ってもらう。嬉しさのあまり、こんな身勝手なことを考える。
それにしても、久しぶりに見た田中耕一さん、懐かしかった。ノーベル賞受賞から8年経ち、髪は白くなっていたが、まだ島津製作所にいるんだ。ノーベル賞といえば、湯川秀樹は別にして、どの大学の名誉教授よりも、島津製作所の田中さんを思い出すもの。
鈴木先生も言っている。日本は、資源のない国、何もサイエンスに限らないが、頭を使っていかなければならない、と。
やはり、学問は、大切なんだ。