野暮なことは思わずに。

近所のシネコンで、「食べて、祈って、恋をして」を観る。
先週触れた「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」は、とても面白い映画だが、東京でも単館上映(渋谷、ユーロスペース)、全国どこでも掛かっている映画ではないのだろうが、これは千葉の田舎町でも掛かっている。全国各地、あちこちで掛かっているだろう。ジュリア・ロバーツが主演しているのだから。
”女性に是非”なんて宣伝コピーで売っているが、そんなことはない。男でも面白い。ロード・ムーヴィーでもあるし。
実は、メインターゲットの女性の皆さま方には、案外不評らしい。主人公の考えや行動、身勝手だとか、リアリティーがないとか、底が割れているとか、といって。野暮なんだなあー、女って生きものは。
リズという名の主人公、ニューヨークに住む作家でジャーナリスト。年の頃は、30代後半、40に近い。別れたがらない男と離婚し、「オフ・ブロードウェーの舞台に出られるようになった」、という若い恋人とも別れ、1年間の旅に出る。イタリア、インド、そして、バリ島へ。それぞれ4カ月ずつぐらいの旅へ。
この辺が、女性の皆さま方の、お気に召さないところだろう。身勝手だ、リアリティーがない、という理由の。リアリティーがなければいけないのか、と言いたい。いいじゃないか、と。
そればかりじゃない。こういう行動を取るためには、金もいれば、知性もいる。幾ばくかの勇気もいるだろう。知性と勇気を横に置いて、金の問題だけを考えても、主人公の1年間の旅、少なくとも1000万円程度はいるだろう。
ところが、リズという名の主人公、金も知性も勇気も、すべて持ちあわせている。女性は、反発するのであろうが、”ハハ、いいな”、男は、こう思う。少なくとも、私は。
”食べて”は、イタリアだ。
ローマに4カ月住む。ひたすら食べている。イタリア語を習ってもいるが。そこに出てくるイタリアの人々、また、ローマの下町の様子、そうそうこうなんだよな、イタリアは、という感じ。
インドでは、アシュラムに入る。”祈って”、だ。
まあ、さほど祈りはしないのだが、それはいい。テキサスからアシュラムに来ている、50がらみの男も魅力的だった。私は、アシュラムに入ったことはないが、黄色と黒のアンバサダー(タクシーです)が何度も出てきた。インドだ。車に群がってくる物乞いの子供たちは、あんなものではないのだが。とても、窓など明けてはいられないのだが。
そして、”恋をして”のバリ。
占い師のジイさんや、薬療師のバアさん、よかったな。私は、バリには行ったことがないが、バリには、”調和”ということがあるそうだ。ジイさんだったか、バアさんだったか忘れたが、”人を恋することは、調和を乱すと考えるが、それもまた、調和の一部だ”、なんて言っていた。そうだよ。
そこで、フェリペという名のブラジル人と会い、恋に落ちる。宝石を商っている男だ。「キミは、ニューヨークに住んでいる。ボクは、バリに住んでいる。お互い、行き来しよう」、と言う。主人公のリズ、一旦はたじろぐが、受け入れる。400羽のオウム以外何もいない島へボートで渡る。いいなあー。
このフェリペを演じる役者、スペイン人のハビエル・バルデムだ。「ノーカントリー」の不気味な存在感も凄かったが、「それでも恋するバルセロナ」の洒落た感じの色男もよかった。ハビエル・バルデム、年の頃も、40前半、今、最もセクシーな俳優ではなかろうか。
何十年も時代を巻き戻して言えば、マーロン・ブランドやポール・ニューマンに匹敵するセクシーさ。今日、死が報じられたトニー・カーチスや、アラン・ドロンなどは、足許にも及ばない。
それはともかく、ハビエル・バルデム扮するフェリペ、こんなことも言っていた。「キミは、男を求めているのではない。チャンピオンを求めているのだ」、と。限りなくセクシーな男にしか言えない台詞ではあるが、フェリペの口から出ると様になる。
そんなことあり得ない、あるはずがない、と多くの女性は思っている。たしかに、そうである。
しかし、いいじゃないか、そうあっても。野暮なことは思わずに。