雨の中の散歩。

秋をすっ飛ばしてとまでは言わないが、今年の秋、少なくとも、初秋はすっ飛ばしたようだ。
ここ10日ばかりで、猛暑から寒さを感じるような日々となった。おまけに今日は、秋らしい雨が降り続く。
いつの頃からか、雨が好きになった。春の雨、夏の雨、冬の雨(冬は、雪の方がいいが、ここらじゃ残念ながらなかなか降らない)、それぞれ趣きがあるが、中でも、秋の雨はひとしお。
このような日には、田中小実昌か深沢七郎がよいが、吉行淳之介にする。コミさんにしろ、深沢七郎にしろ、吉行にしろ、小説もいいが、エッセーもいい。軽ろ味があり、練達にして、深奥。
今の私、何を読まなければならない、なんてことは、まったくなくなった。その中に身を置けばいい。自分の部屋に入り、書棚から目についたものを引っぱり出せばいいだけ。今日は、雨が降っているから、と吉行のエッセーを引きだしただけ、と言えば、その通り。
吉行淳之介、文学や、作家仲間、娼家通い、それに、病気の話は定番だが、映画はもちろん、ボクシングや野球にも興味を持っている。病気がらみで、芥川賞をとった『驟雨』のことも出てくる。吉行淳之介、結核で清瀬の療養所に入院している時に、芥川賞を受賞した。1954年(昭和29年)のこと。吉行、29か30の時。
吉行のものを読んでいると、この結核と『驟雨』のことが時折り出てくる。吉行にとっては、やはり、忘れられないことだったんだろう。
で、『驟雨』を読みかえす。私の持っている『驟雨』は、昭和44年、KKベストセラーズから出された『吉行淳之介の本』に収められている決定稿。吉行自身、この作品には思い入れが深かったようで、芥川賞をとった後、1963年、1965年に改稿を行い、さらに、1969年に決定稿を書きあげている。
吉行自身の言葉によれば、作者の吉行よりも多く、この作品を20回も読んだ青年がいて、彼の鋭い指摘にも従って、決定稿を為したそうだ。この作品、数回しか読んでいない私など、ものの数に入らない。
ところで、『驟雨』、若い男と娼婦との物語。夏から晩秋にかけての物語だ。
年恰好は違うが、永井荷風の『濹東綺譚』を思わせるが、吉行は、どこかで、荷風のものから思いついたものではない、と言っている。深層心理ということから言えば、どうかは解からないが、とも言っているが。
夕刻、雨の中、散歩に出た。
ショールを巻き、レインコートを着て、2〜30分ほどの散歩に。1週間ほど前の雨の日には、雨らしい写真が撮れなかったので、今日ならば、と思って。雨の中、フラフラするのが好きなんだ。

池じゃない。遊歩道の一段下がったところの水溜まりだ。あちこち雨の波紋が見てとれる。

少し行った草っ原の葉っぱには、雨の粒がいっぱいついていた。

道端にお地蔵さまの洞がある。間口半間程度の小さな洞。その瓦で葺いた屋根は、雨に濡れ、黒く光っていた。