琉球と力の論理。

琉球王国は、15世紀初頭から約450年間存在した。1879年(明治12年)、第二次琉球処分で、完全に日本に吸収されるまで。
しかし、建国当初から、大国・明の冊封を受ける国であった。つまり、明の属国である。明の後を襲った清の属国であることも、当然の成り行きであった。小国の琉球、力の論理の前に、如何ともし難かったであろう。明や清の冊封使は、琉球弧をたどり、琉球本島、首里に来た。釣魚台も目印のひとつとして。
中国が、尖閣諸島を固有の領土としている理由のひとつは、この明や清の文献に、釣魚台の名が記載されているから、ということがある。しかし、古来、中国には多くの文献がある。その中に記載されているから、というだけでは、領有していたとは言えない。琉球の民が、自らの島、自らの海を先導したであろう。冊封を受ける国の務めとして。
17世紀初頭、江戸時代の初め、琉球王国は、薩摩藩の進攻を受け、敗れる。以後、薩摩藩の支配下に入る。王国という形はとりながらも、実質的には、薩摩藩の、つまり、日本の属国となる。これも、力の論理。
1879年(明治12年)、明治政府の第二次琉球処分により、琉球は、沖縄県となり、琉球王国は、完全に消滅する。その後の朝鮮の併合や、台湾の併合とは、大分意味合いは異なるが、時間をかけた(300年近くの)、なし崩しの併合と言えなくもない。
力の論理による、大国による小国の併合、何も珍しいことではない。19世紀から20世紀にかけて、あちこちで起こっている。
1898年の、アメリカによるハワイの併合、1940年のソ連によるバルト3国の併合、1950年の中国によるチベットの併合、1975年のインドによるシッキムの併合。今、大国と言われている国の例でも、このようなものが思い浮かぶ。
ハワイのように、ハッピーと言っている(だろうな)国もあれば、バルト3国のように、ソ連の崩壊で、また独立を取り戻した国もある。チベット併合は、悪名高いが、まだ50年にも満たないシッキムのことなんか、今では、ほとんど忘れ去られているだろう。
欧米諸国に遅れて世界に登場した日本は、1894年(明治27年)から翌1995年(明治28年)にかけての日清戦争に勝つ。遼東半島や台湾などの割譲を受ける。遅れて登場の帝国主義国となっていく。
それはさておき、尖閣諸島のことだ。日清戦争終結の翌年、1996年(明治29年)、日本は、尖閣諸島の領有宣言をする。その根拠は、こうだ。
魚釣島はじめ尖閣諸島は、ノーマンズランド(無住地)であり、そこを先に占した、というもの。先占理論だ。このノーマンズランドの先占理論、ずいぶん乱暴なように思える。以前、あの満洲でさえ、ノーマンズランドであった、という政治学者がいて驚いたことがある。しかし、この一見乱暴に思える先占理論、国際法に則っているらしい。だから、尖閣諸島は、日本固有の領土なんだ。日本の実効支配の許にあるし。
私から言えば、それ以前に、尖閣諸島は、琉球弧の一部、琉球固有の領土、つまり、琉球が日本の一部となったからには、日本の領土だと思うのだが。中国もそれを認めていた。少なくとも、1970年までは。この年の資源調査で、石油や天然ガスの埋蔵が確認されるまでは。地下資源が、ということになって初めて、中国はどうこうと言うようになった。理不尽なことを。
だから、1972年の、田中角栄と周恩来による日中国交回復の時も、1978年の、日中平和友好条約の時も、この問題は棚上げにされた。訒小平の「この問題は、次世代の者に任せよう」、との言葉で。日本人から見れば理不尽ではあるが、客観的に見れば、アヤフヤになっていることも事実。多くの中国人が、自国の領土だと思っていても不思議ではない。
だがしかし、この問題は、引くわけにはいかない。腹を据えて毅然と対処しなければならないこと、当然だ。
ところで、司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談を纏めた、『世界のなかの日本』(1992年、中央公論社刊)という書がある。「十六世紀まで遡って見る」、という副題が付いているように、江戸以降の日本について、碩学、大人二人の上質な会話が続いている。
その中で、司馬遼太郎が井上靖から聞いた話として、こう言っているところがある。少し長くなるが引いてみる。
<「日本人も」と言ったのか、「日本の国も」とおっしゃったのか、「そろそろ世界の組合員にならなければいけませんね」と言われました。・・・・・日本は、江戸時代は鎖国ですし、明治のときは、自分たちは弱いんだ、西洋のものを学んでいる最中でとても一人前のつき合いはできない、と思っていました。ところが、日露戦争に勝ってからはばかに居丈高になって、世界の五つの強い国の一つだと思い始める。昭和になると、今度は近代軍隊、つまり軍艦も戦車も動かさなければいけない。石油のない国ですから、こんなものは成立しません。きっとそこで日本は強い、神の国だとするフィクションが生れたのだと思います。ともかく江戸時代からこんにちにいたるまで、世界の組合員であったことは一度もない>、と。
まだ続くのであるが、途中を端折り、司馬遼太郎の終わりの方の言葉を記せば、
<そういえば、江戸時代はもとより、明治以後も世界の一員だったことはない。つまり、特別会員もしくは準会員もしくは会員見習いであったとしても、ちゃんとした会員であったことはない。会員には義務と責任がありますから、そろそろそれを持たなければいけないという時代ですね>、と司馬は言う。
この司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談は、20年ほど前のものであるが、実は、今の中国を見て、この書のことを思い出した。
日本のことを話しているのであるが、江戸時代を清に、明治以後を中華人民共和国成立以後、と置き換えてみれば、なんとソックリではないか。私には、そう思える。今の中国、日本の失敗の跡をなぞっているように思えてならない。義務と責任があるようにも見えないし。力の論理に囚われている。尖閣の問題ばかりじゃなく。
そう言えば、何日か前、仲井眞弘多が、尖閣諸島へ視察に行きたいと話していた。尖閣諸島は、沖縄固有の領土なんだから、と言って。知事として、ヘンな言葉は使えない。
だが、私は思った。仲井眞弘多は、”沖縄固有の”、という言葉より、”琉球固有の”、という言葉を使いたかったのではなかろうか、と。