秋場所 千秋楽。

力が違う。まったく異なる。今場所も全勝、白鵬の連勝、62に伸びた。
今場所、星が挙がらない日馬富士ながら、真っ向勝負を挑んだ。日馬富士らしい、矢のような立ち合い、一直線で白鵬に当たった。しかし、今の白鵬には通じない。次の瞬間には、一気に寄り切られた。
対白鵬戦、最も勝ち星を挙げている日馬富士でも、このありさま。白鵬の力、いかに頭抜けているかを見せつけた。だが、日馬富士の、”よし、オレがやってやる”、という気概は、十分に感じられた。
これに較べ、阿覧は、情けない相撲を取った。魁皇(昨日は相撲を見なかったが、魁皇、昨日勝ち越したんだ)に対し、立会い、変化した。阿覧が勝ったが、情けないことをした。大先輩の大関に対し、失礼な相撲を取った。力もつけており、関脇の地位にあるが、角界に入って日も浅い若輩が、こんなことをしちゃいけない。
勝ってなんぼの世界ではあるが、勝ちゃいい、という世界でもない。それが相撲というものである。単なるスポーツではないんだ。阿覧のようなヨーロッパから来た力士には、まだそこのところがよく解かっていない。親方の問題であろう。阿覧の今後のためには。
それにしても、今場所の魁皇、勝ち越したのには驚いた。5勝5敗、6勝6敗、となったところでは、8番勝つのは難しかろう、と思っていた。何日か前、そうも書いた。大関の美学、ということも書いた。しかし、魁皇の美学、”刀折れ矢尽きるとも”、という美学。それはそれで、立派なこと。認めなきゃならない。
私の贔屓の栃煌山と鶴竜が、安定した星を残した。三役に定着し、ぜひ次の大関を競いあってほしい。稀勢の里は、ウーンだ。私ばかりでなく、稀勢の里のファンは多いが、稀勢、稀勢、と言っているうちに、時は過ぎていく。そのうち、稀勢の里自身も時を逸するかもしれない。今場所を見ていると、そうも思えてくる。
野球賭博問題で、十両に落とされた元大関、関脇の三人衆、思った通り、揃って大勝ちした。雅山、豊ノ島、豪栄道、確かに、格の違いを見せつけた。本来の十両の力士には、気の毒だった。初めから、勝ち星が二つか三つ、無くなったような場所だったであろうから。
だが、豪栄道の今日の相撲はいただけない。あんな安易な相撲を取っちゃいけない。それこそ、勝ちゃいい、というものではない。十両相手には勝てるが、幕に戻ってからでは、あんな相撲は通じない。贔屓力士であるが、それ以上に、彼には、大関争いに加わってもらわなければならない力士のひとり。心してくれ、豪栄道。
閑話休題。相撲は、心技体、という。
強くなれば、人間もできてくるのか。白鵬を見ていると、そういうことを考える。それとも、彼は、初めから人間ができていたのか。今日の優勝インタビューに対する答えもそう。
私は、強いとは思っていない。ただ、運がいいとは思っている。運とは、努力をした者に対して、神さまがくれるものだ、と思っている、と。アナウンサーが、70連勝を阻まれた時の双葉山の言葉、「吾、未だ木鶏たりえず」を出した時には、人間は、木鶏にはなることができない、とも言っていた。
まだ25歳の若者である白鵬、たしかに、心技体備わった横綱になってきた。
1週間前、双葉山はじめ歴代の大横綱と言われている人の格付けをした。その折り、白鵬には、今のところは、ダブルAマイナスとの格付けをした。今日、そのマイナスを取り、ダブルAとする。ダブルAプラスには、来場所の結果を見てから、としたい。
時間の問題にすぎないのではあるが。