チッとも知らなんだ。

都内の病院へ行ったついでに、気になっていた映画を観る。「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」。
オランダは、レンブラント、フェルメール、ゴッホ、飛び抜けた絵描き、三枚看板(こんな言葉、あったかな?)を誇る。特に、アムステルダム国立美術館は、多くのレンブラント作品、それに、フェルメールを4点持つ。なお、ゴッホは、この美術館のすぐ近くに「国立ゴッホ美術館」があり、それこそ、腐るほどのゴッホの作が展示されている。
「夜警」、また、フェルメール、どう扱われているかな、と思っていたら、そのようなものは出てこない。パワーシャベルでコンクリートをガンガン壊しているところから始まり、その内、何人もの人、時には何十人もの人たちが集まり、ワイワイと話しあって(時には、侃侃諤諤の議論)いる。美術館の館長や学芸員などの美術館関係者、そして、地域の人たちが。それが続く。
正直に言えば、初めの内は、何度かウトウトとした。しかし、その内、俄然面白くなっていった。引きこまれた。彼らの話していること、ことの顛末が解かるにつれ。
彼ら、アムステルダム国立美術館の改装について、話し合っているんだ。国立美術館の改装に関し、てんやわんやの大騒動が勃発しているんだ。そのドキュメンタリー。監督は、女流のウケ・ホーヘンダイク。その騒動の顛末を4年に渉って追いかけている。
アムステルダム国立美術館の大規模な改装、改築、2000年から計画され、2004年から工事にかかり、2008年には、新装開館する予定だったそうだ。それが、延びに延びる。延期につぐ延期。地元の人たちから、さまざまな猛反発が出たからだ。
例えば、サイクリスト協会なんてところから。自転車乗りの団体だ。アムステルダムは、自転車の多い町だが、そうは言っても、なぜ、自転車乗りの協会が美術館の改装、改築に文句をつけるのか。実は、アムステルダム国立美術館の建物の中を、自転車が走る道が通っているからなんだ。
国立美術館の館長、”みんなに愛される美術館”、”市民の為の美術館”、という考えを持っている。だから、徹底的に議論する。サイクリスト協会のおっかない女性闘志のオバさんたちと。アムステルダム南地区委員会なんて団体も強硬だ。その他にも、次々と問題は出てくる。新たに造る研究タワーの高さがどうのとか、設計変更を余儀なくされることも多い。
だから、工事は延期続き。建築家や学芸員の中には、士気の落ちる人もいる。しかし、学芸員の皆さん、概ね愛すべき人、魅力的な人だ。改装を機に充実をはかる、というアジア美術の担当部長の男など、可愛かった。新たに、日本から金剛力士像を買い付ける。それが成った時の彼の顔たるや、ニコニコし、嬉しくてしかたない、という表情であった。
それにしても、見た感じでは、おそらく、鎌倉期のものだと思われる、阿吽二体の仁王像、どこから、どのようにして買い付けたのか、とは思った。しかし、あれほど喜んでくれ、図書館に籠って、日本美術を勉強してくれる学芸員がいる美術館には、どのようなもの、どのような手段であれ、いいところに納まった、と思ったな。
だがしかし、アムステルダム国立美術館の改装、改築は、なかなか進まない。遅れに遅れる。ついに、館長は辞任に追い込まれる。この、デ・レーウという名の大柄(オランダ人は背の高い人が多いが、この館長、高さ2.2メートル、という金剛力士像の前に立っても、そう見劣りがしない)の館長は、なかなか魅力的な人であった。
どのような局面にあってもアタフタしない。飄々としている。辞任した後は、ウイーンに住むという。ウイーンの国立歌劇場まで10分、ブルグ劇場まで15分、とかいう中心部にアパートを買ったそうだ。田舎生活は、イタリアで、都会生活は、ウイーンで、なんてことを言っている。この人、あちこちに家を持っている金持ちでもあるんだ。
アムステルダムのアパートを引き払う時、20年も経つと、壁紙も随分汚れるな、なんてことも言っていた。憎めない男だった。めげない、泰然としている。こういう場面もあった。
このデ・レーウという館長のお別れ会が開かれる。アムステルダム国立美術館は、世界に冠たる美術館である。その館長の退任のお別れ会、女王陛下の代理も出席している。その女王陛下の代理の男、こういう挨拶をしていた。
今回のアムステルダム国立美術館の改装、改築のプロジェクト、デ・レーウ氏がその基礎を作った。氏に感謝する、との言葉を述べていた。辞任した館長、満足そうな表情であった。
当初の予定では、2008年に終るはずであったアムステルダム国立美術館の改装、改築は、実は、まだ終わっていない。映画の終盤、2008年11月から工事に入った、というテロップが流れる。完成は、2012年から2013年にかけてだそうだ。だから、今は、アムステルダム国立美術館、閉鎖しているという。
実は、3年近く前、2007年の暮にアムステルダム国立美術館を観に行った。ひと月ちょっとヨーロッパを歩いていた時に、アムステルダムにも寄った。大きな画面のレンブラントの「夜警」の迫力、そして、それとは逆に小さなフェルメールの絵が4点、並んで掛けられている様を堪能した。
その時には、美術館の中で、このような騒動、ドラマが展開されていたことなど、まったく知らなかった。その時は、まだ次々に起こるゴタゴタの渦中、何とか、やっと収まり、工事に取りかかる1年前だったんだ。今、思うと。
その時のアムステルダム国立美術館、このようだった。

この中央下のドーム状になっているところが、サイクリスト協会の人たちが問題にしていた、自転車の通る道なんだろう。