年寄りの商売。

100年少し前浅草で生れた沢村貞子は、15年ほど前に87歳で死んだ。
父親が狂言作者だった関係で、兄弟、縁者に、よく知られた芸能関係者が多い。ご自身も80の頃まで、約60年の間、女優を続けた。キリッとした、気風のいい役回りが多かった印象がある。しかし、ご自身は、いわゆる芸能界の派手なイメージとは、逆の人生を送ったようだ。夫婦二人で。
若い頃、もちろん、戦前のこと、治安維持法違反で築地署に引っぱられる。市ヶ谷の未決監での未決暮らしは、通算1年8カ月に及んだという。厳しく責められ、死ぬかもしれない、と思いながらも、口を割らなかったそうだ。その後演じた役柄同様、強い心、精神力を持った人である。
女優になったのは、懲役3年、執行猶予5年の判決を受け、出所した後、兄である沢村国太郎のすすめで、という。
その沢村貞子、60歳ぐらいの頃から、文章を書き始めた。十指に余るエッセイ集を上梓している。上記のことも、彼女の『老いの楽しみ』(1993年、岩波書店刊)に出ている話。その中の、「わたしの昭和」という中の一節。
沢村貞子には、”老いの云々”、という書が何冊かあり、そのようなことが書かれているが、特筆すべきは、夫婦仲がとてもいいこと。やはり岩波から1995年に出た『老いの道づれ』など、サブタイトルが「二人で歩いた五十年」、となっており、ご亭主が亡くなったすぐ後のものだが、ご亭主との話ばかり。例えば、こういう話。
<「お墓もいらないと思うんだけど」、・・・・・「もしかして、あなたが先へ逝ったら、お骨をきれいな壺にいれて、居間へ飾って、私が死ぬまでいっしょに暮らすわ・・・・・私も骨になったら、あなたの骨といっしょにして、海へ投げこんでもらいましょうよ>、というようなことが。
ふたりが死んだ後、葬式も近親者のみで営まれ、墓の件も、散骨の件も、その通りにしたそうだ。
『老いの楽しみ』の巻末に、河合隼雄との対談が出ている。「老いる幸福」というタイトル。これが面白い。
沢村 生き甲斐だとか、なにかすべきだとかとかってすぐ言いますでしょう。もうさんざん仕事をして一生懸命生きてきたんだから、あとは生きてるだけで勘弁してもらいたいと思ってたんです。そうしたら、『老いのみち』というご本にブラブラしてるほうがいいって書いてある。遊ぶというのは子供の商売で、年寄りの商売はブラブラしていることだと思うんです。
河合 本当は若い時もブラブラしてていいんですけどね。しかしそれはあんまり言えないから(笑)。
沢村 私の本を皆さんが読んでくださるのが、本当に不思議なんです。毎日、新聞を見ても雑誌を見ても、立派な方たちの本がいっぱい、どんどん、出るでしょう。
河合 立派な本はあんまり面白くないですから(笑)。
沢村 なんだか知らないけど「そうですね」と言っときゃ、たいていね(笑)。
河合 僕は会議の間によく眠るんです。たまに「いかがですか」とかって意見を聞かれる時には、僕は「いやあ、それはなかなかですねえ」って言うことにしているんです(笑)。
まだあるが、このへんで止める。だが、このような話、老いの特権。年寄りの商売は、ブラブラすること。正に、至言。
それにしても、国民の祝日、旗日に、夕刊を発行しないのはいいとしても、敬老の日にも休刊にするのは、どうしたことか。旗日であれ、この日だけは発行するべきじゃないか。ニュースなど、テレビでもネットでも知ることはできるが、やはり、紙で読む、ということを楽しみにしている年寄りは多い、と思われるのだが。
もし、敬老の心があれば、この日の夕刊、出すべきじゃなかろうか。