歴史、忘れちゃいけない。

白鵬、今日も勝ち、ついに千代の富士の連勝記録を抜く。
一瞬、ヒヤリとした場面もあった。やはり、緊張していたのだろう。まだ25歳の白鵬、すでに立派な横綱であるが、これからが最盛期、さらなる歴史を積みあげていくことだろう。
話は変わる。歴史の話に。
人を殴った方は、だんだん忘れがちになるが、殴られた方は、ずっと憶えているものである。忘れない。それが、国と国とのことであれば、猶のことである。
アメリカ人は、パールハーバーを忘れない。日本人は、広島、長崎を忘れない。ユダヤ人は、ホロコーストを忘れない。ポーランド人は、カチンの森を忘れない。近年でも、ルワンダ、旧ユーゴ、9.11・・・・・、いくらでもある。パレスチナなど、今でもそうだ。
殴った方は、さまざま理屈をつける。忘れようともする。また、現実に、時間が経てば、忘れ去られる。
私が知る限り、殴った方、つまり、加害者側が、”オレたちのしたこと、忘れちゃいけないんだ”、として、理性的に対処しているのは、ドイツぐらいだ。ナチスドイツの為したことに対し、真摯に向き合っている。ベルリンの「ユダヤ博物館」を観ても、それが解かる。
尖閣諸島がらみではあるが、日本の巡視船にぶつかった中国の漁船の船長を逮捕したぐらいで、なぜ、いつまでも反日行動が続いているのか。日本というと、すぐカッとする人がいるからな、特にネット世代の若い連中は、と思っていた。昨日も、酒を飲みながら、今の日本、米欧と中国に囲まれている。ACEU包囲網だ、なんて気軽に書いた。酔った頭で、ホイホイと。
今日の夕刊を見て、気がついた。「中国、反日デモ拡大警戒 柳条湖事件から79年」、という見出しがあった。そうか、それで今日もデモをやっているんだ、と。柳条湖事件なんて、若い人は知らないだろうし、年寄りだって、知っている人は少ないだろう。知ってはいても、忘れている人が多いだろう。私も、忘れていた。
14〜5年前、柳条湖へ行ったことを憶いだした。私は、新京(今の長春)で生れた。新京は、満洲の首都。一度生れ故郷を見よう、と団体旅行に参加した。その時に、奉天(今の瀋陽)郊外の柳条湖にも行った。
1931年(昭和6年)の今日、9月18日、関東軍は、奉天郊外の満鉄(南満洲鉄道)の線路を爆破した。張学良の、中国側の仕業と見せかけ、それを口実に、満洲全土を占領しようとしたんだ。関東軍高級参謀、板垣征四郎と石原莞爾による満蒙領有計画は進んでいた。それ以前、1928年6月には、関東軍、張学良の親父・張作霖を爆殺している。
1932年初めには、満洲の主要都市を制圧、その年の3月1日、愛新覚羅溥儀(ご存じ、ラストエンペラー)を執政とし、満洲国を建国する。翌年3月、溥儀は、皇帝となる。満洲国、もちろん、日本の傀儡国家である。
そのすぐ後、1933年3月27日には、日本は国際連盟を脱退、孤立化を進める。1937年7月7日、盧溝橋事件が勃発、日中泥沼の戦争へと突入して行く。その間、1941年12月8日の真珠湾攻撃があり、1945年8月15日の日本の敗戦まで。
1931年9月18日の、柳条湖での関東軍の謀略から、1945年8月15日まで、日中14年戦争とも、15年戦争とも呼ばれる。その間の中国側の死者は、軍民合わせ、1000万人とも2000万人とも、それ以上とも言われる。すべては、79年前の今日、関東軍の暴走(当時の日本政府、結果として、追認した)から始まる。
その現場に行った私でも、新聞の見出しを見るまで忘れていた。多くの日本人は、知らなかったり、忘れていたりするだろう。しかし、やはり、忘れてはいけない。
私が柳条湖に行った時には、何にもない中に大きな建物が建っていた。博物館だが、その名が、「勿忘”9.18”」、というんだ。その当時の写真やさまざまな物が展示されていたが、パノラマというか何というか、立体的な展示もあった。日本軍が、暴虐の限りを尽している様が表されていた。日本人として、正視できないような様も。
さまざまな意見、見方はあろう。しかし、日本が、傀儡国家・満洲を作り、その後、中国大陸を侵略していったことは、事実。このことは、やはり忘れてはいけない。
柳条湖の「勿忘”9.18”博物館」の売店で買った写真集『勿忘”九・一八”』(1992年、吉林美朮出版社刊)を思い出し、探し出した。何枚かを複写する。いずれも日本側の写真である。

1931年の今日、柳条湖に日の丸の旗が翻る。

右下に、当時の関東軍司令官・本庄繁の布告文が載っている。
日付けは、その翌日の9月19日。大日本関東軍司令官本庄繁、との署名がある。
なお、本庄繁、敗戦後の1945年11月20日、戦犯容疑でGHQの逮捕命令が出た後、割腹し自裁する。

1933年9月15日、日満議定書締結日の溥儀。
日本と満洲国の高官に囲まれているが、その周りは日本の軍人ばかり。中央で軍刀を支え、溥儀と並ぶのは、おそらく、関東軍司令官・本庄繁であろう。

溥儀と共に写っているのは、左から、武藤信義、南次郎、植田謙吉。いずれも、歴代の関東軍司令官、陸軍大将だ。
溥儀、皇帝とは名ばかり、実権は関東軍の司令官が握っていた。日本の傀儡国家だもの。

満洲国、表向きはこういうことを謳っていた。
大満洲帝国、民族協和とか、王道楽土とか、日満一徳一心とか。
日満漢鮮蒙の五族共和と言ったって、日本人がすべてを支配し、他の民族はその下で支配される、という状態。傀儡国家ならではのことだった。その中で、私の親父は、新京で気ままな生活を送り、私が生れた。だから、私は、満洲に対する思いがある。実際には何も憶えていないが、デジャビュのような郷愁が。
しかし、中国人にとっては、そんなことでは済まない。自国の東北部に傀儡国家を作られ、その後、国全体にわたり侵略されたのだから。日本から。その突端が、79年前の今日だったんだから。反応して、当たり前。だから、日本人は、そのことを忘れてはいけない。殴った側として。
私は、今の中国の外交政策に大きな疑問を持っている。中国、覇権主義国家になっている、と思っている。
しかし、そうだからと言って、日本が犯した歴史の過ち、忘れてはいけない、と思う。
今日が、柳条湖事件の日なんて忘れていたので、大きなことは言えないが。