うれしい日。

忙しい日であった。しかし、嬉しい日であった。娘が結婚した。
入籍も済んでおり、新生活もしていたのであるが、結婚式は、ひとつのけじめ、やはりうれしいものである。
大学時代はやっていなかったそうだが、高校まではサッカーをやっていた、という婿殿、長身のガッシリとした若者で、初めて会った時から好きになった。かみさんも彼が好きだし、ウチの犬も彼が好き。彼が来ると、いつもピョンピョンピョンピョン飛びついている。
娘と初めて手を組んで歩いた。バージンロードを歩み、牧師の前に進む時。小さい頃、手を引いて歩いたことはあるが、手を組むなんてことは初めてだった。日本の男親など、皆そうであろう。
それもそうだが、披露宴がよかった。今まで結婚披露宴にはずいぶん出ているが、新郎新婦の挨拶がなく、新郎の父親の挨拶のみ、ということもしばしばある。しかし、今日は新郎も話したし、新婦も話した。若いふたりが考えた構成だった。もちろん、最後に、新郎のご父君が、その人柄そのままの丁寧な謝辞を述べられた。
さらに、私の挨拶もあった。こう述べた。娘の話の中に、こういうくだりがあったから。”これからは、今までできなかった親孝行をしたい”、ということが。だから私は、こう話した。”親孝行などしなくていい。これからは、新郎を支えて、ふたりで幸せになれ”、と。
あとひとつ、こうも言った。この猛暑の中、列席していただいた方々への御礼の言葉。今年の極端な暑さ、暑いのは若いふたりだけにしてもらい、と思っているのだが、地球環境の変化だけはどうしようもない、と。その中を、ご列席いただき、感謝しています、と。感謝の言葉なら、屋上屋を重ねてもよかろう、と思い。
ふたりの結婚に対し、さしたることは何もしていない。ただひとつだけ、ふたりから頼まれていた。ウェルカムボードを作ってほしい、ということを。何か月も前から。任せなさい、と私は引き受けた。他のどんなウェルカムボードより、素晴らしいものを作ってやる、と。
しかし、元来怠惰な私、昔からそうだが、締め切りギリギリになるまで手をつけないんだ。かみさんから、ネエ、間に合うの、と何度も言われた。当たり前だ、間に合う、とその都度応えた。ひと月ほど前から、考え始めた。14日の土曜日に取りに来る、との娘からの電話が入ったので。創った。ふたりから預かった写真を素として。
それがこれ。イーゼルに乗せられ、今日、お客さまを迎えるところに置かれていた。

ライトがだいぶ映りこんでいるが、吉祥の蔓草紋を全体に配した。お目出度い鶴を11羽飛ばした。
大したものではないが、ありきたりのウェルカムボードとは、ひと味違うんだぞ、と父親である私は思っている。親父へのサービスかも知れないが、ふたりも喜んでくれた。
披露宴の後、若い人たちだけでやるという二次会の席へ、これも持って行ってくれたようだ。
今日のブログ、こうしてキーを打ちながら、ありきたりの父親の思いだな、と感じる。ごく当たり前の。まあ、しかし、それでいい。
父親として、うれしく、幸せな日だったのだから。