大暑。

厳しい暑さが続いている。今日は、大暑だそうだ。
だから、よほどの用がないと外へ出ない。この1週間、外へ出たのは2回のみ。日に1度くらいは外に出た方がいいのでは、とは思うのだが、出る気になれない。暑そうで。
相撲の中継はないし。2,3度、6時すぎのNHKのダイジェスト放送を見たが、面白くない。私には、NHKの中継中止自体、面白くないので、その後は見ていない。
仕方がないので、毎日本を読んでいる。実は、仕事を引退した後、本を読むようになった。引退前は、本はやたらに買っていたが、読むのはその何分の一であった。あとは積読。買った本、一応10分か20分、サッと目を通す、という程度のことはしていたが、実際にある程度、終わりまで読むのは、月に数冊程度であった。
引退後は、それが逆になった。月に数冊、せいぜい4〜5冊しか買わない。しかし、読むのは逆に、月2〜30冊となった。まったく読まない日もあるが、日に2冊ばかり読む日もある。図書館に行くようになったからだ。
市の図書館と、週に一度通っている学校の図書館の二つを利用している。歩いて5〜6分のところにある市の図書館は、まあ、まんべんなく、といった品揃え。小さな学校とはいえ、大学図書館であるところには、公共の図書館とはまた違う本がある。館内では、そのような本を読むこともあるが、借りて帰るのは、概ね軽いものばかりである。
だから、以前とは逆に、買うのは月数冊だが、読むのは月2〜30冊、というようなことになってしまった。ただ、以前と違うことが、あとひとつある。読むことは読むのだが、その内容をすぐ忘れてしまう。ひと月も経てば、書名さえ忘れてしまっていることが多い。致し方ないのだろう。
昨日読んだ本は、覚えている。後藤健生著の『ワールドカップは誰のものか FIFAの戦略と政略』(文春新書)。先日のW杯に合わせて出されたもの。
W杯の歴史、FIFA内での権力闘争、何故今年のW杯が南アフリカでの開催になったのか、さらに、2002年の日韓大会に持って行った鄭夢準の動き。2002年のW杯、当初は日本の単独開催と言われていた。それが日韓共同開催となった。どうしてか。
現代財閥の御曹司であり、韓国の国会議員でもある鄭夢準、周到な戦略を練った。それが功を結び、共同開催となった。鄭夢準、次のFIFA会長の座を狙っていた。さらに、その後には、韓国の大統領の座も、といったこと。
さらにこの書、多民族国家である南アフリカのことについても教えてくれる。一概に、白人といってもさまざまであること。ひと口に、黒人といってもさまざまな民族がいること。複雑なんだ。だが、とても面白かった。しかし、今日はまだ憶えているが、ひと月もすれば、おそらく忘れているだろう。
今日は、梅棹忠夫編『民族学の旅』(昭和55年、講談社刊)を読んだ。
大阪の「みんぱく」開館3年後のものである。「みんぱく」・国立民族学博物館は、博物館であると共に、研究機関でもある。その「みんぱく」の広報誌「月刊みんぱく」(現在も続いて刊行されている)に掲載された研究者たち27人のエッセーを纏めたものである。
その研究者、教授もいるが、多くは、助教授や若い助手のものである。その後、教授、名誉教授となった人も多く、30年後の今では退官した人も多いが。この書を実質的に纏めた石毛直道は、その当時は助教授であるが、「よばい棒 <性と愛の人類学>」という面白い文章を書いている。彼はその後、「みんぱく」の館長となり、今は退官している。名誉教授となり。
石毛ばかりでなく、他の研究者のエッセーも、それぞれ面白い。アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニア、ヨーロッパ、民族学の研究者は、あちこちに行っている。民族学の基本は、フィールドワークなんだから。
中に、当時助教授であった栗田靖之が、「仏の化身=インカネーション <ラマ僧の戒律>」という文章を書いている。
カルカッタ(今は、古い呼称であるコルカタ、と呼ばれています)のナイトクラブで、ダンスの上手い、なかなかの好男子の、ブータンの男に会った、という話である。その男が、インカネーション、ブータンの高僧の生れ変りである男だったのだ。
その男は、その後、仏の化身であることに疑問を持ち、皇太后の許しを得て還俗する。仏の化身となった時、自動的についてきた名誉と莫大な財産(その中には、ブータン国内ばかりでなく、チベットの寺院まで含まれていたという)を放棄して。
民族学の研究者・栗田靖之は、その後も、カルカッタのナイトクラブで、この男と度々合い、一緒に飲み、ドライブにも行っている。驚いた。
カルカッタには、私も何度か行っているが、ゴチャゴチャと人の多いお寺や、ゴミゴミとしたバザールに行くことは考えても、カルカッタで、ナイトクラブに行くことなどは考えなかった。第一、カルカッタにナイトクラブがあるなんてこと、思いもしなかった。
フィールドワークをする学者のすること、私のような凡人とは少し違うな。