明日香村。

平城遷都は、和銅3年(710年)である。だから、今年は、遷都1300年。
それまでの日本の首都は、概ね明日香にあった。6世紀末からの約120年近く。飛鳥時代である。
日本歴代で、最大のスーパースターは、聖徳太子であろう。異をはさむ人は、いないだろう。聖徳太子が摂政になったのは、推古元年(593年)、十七条憲法や冠位十二階を制定したのは、推古12年(604年)である。聖徳太子の死は、それから20年近く後の622年だが、いずれにしろ飛鳥時代に、日本は律令国家としての歩みを始めた。
平城京へ移る直前の都は、藤原京だが、今の明日香村のすぐ北、橿原で15年余続いた。その前は、明日香の中でもあちこちに都が置かれている。時には、明日香の外にも。つまり、「都」、首都とはいっても、天皇の高御座がその地にあったということで、確たる首都の体裁が整えられていたわけじゃない、と言うこともできるのだろう。中国の都に倣った本格的な都、首都が造られたのは、藤原京以降である。
飛鳥園発行の小冊子『飛鳥』には、和銅3年(710年)2月、平城京への遷都で藤原京を発たれた元明天皇が、詠まれた歌が載っている。
     飛鳥の 明日香の里を 置きて往なば 君があたりは 見えずかもあらむ
途中で輿をとどめ、遥かに日々を過ごした古京をかえりみて、詠まれた歌だという。
しかし、明日香のどこに天皇の宮があろうとも、明日香が古代日本の中心地であり、その後、今に至る日本の礎を造ったことは、間違いない。
「大和は国のまほろば」だが、その「まほろば」の中の「まほろば」は、今の明日香村のあたり、と言っていい。
今年の初め、創刊60周年を迎えた「芸術新潮」が、「わたしが選ぶ日本遺産」を特集した。現代日本を代表する68名の人たちが、ひとり5つずつ投票した。物書きや絵描きや、今が旬の学者や評論家などが。
その後、半月ばかり、「日本遺産」について連載したが、最後に「私ならこの5つ」ということを書いた。
1.明日香村の田畑。 2.広島原爆資料館。 3.北斎の画業。 4.JRローカル線の駅。 5.梅干。
この5つが、1月に書いた次の時代に残すべき「私の5つ」であるが、トップは、明日香村の田畑である。今も変わらない。「芸術新潮」が依頼した現代日本各界を代表する面々、誰も明日香村のことを取りあげていなかったが。
久しぶりに訪れた先日の明日香村、このようであった。

田んぼや畑があって、こういう長閑な風景が、明日香村である。

小さな森や低い山並みが見えるのも、明日香村。

もちろん、バスが通る街道筋の両側には、屋並みが続いているところもある。みな2階部分が低い造りである。
これは、岡寺前のバス停のところ。近鉄の飛鳥駅へ行く最終のバスを待っている時に撮った。
5時少しすぎだというのに、バス停前の右側の店は、おばさんが出てきてシャッターを閉めていた。車もほとんど走っていないし、歩いている人もいない。街道筋、商店が幾つかあるが、この時間、みな閉めている。

すぐ近くにこういう店があった。
漢方薬相談と書いてあるので、薬屋だろう。もちろん、閉まっていたが。
陀羅尼、と読める幟があった。たしか、「陀羅尼丸」という薬が、昔あったような気がする。

しかし、街道筋の一部を除くと、明日香の風景、だいたいがこのようなものである。
田畑があり、その向うに農家が点在している。

ビニールハウスがあるところもあるが。
明日香村、別に田んぼや畑で知られているわけではない。ごく普通の田畑である。ただ、私が好きなだけ。
もちろん、明日香村が世に知られるのは、飛鳥寺や岡寺のような古寺であり、亀石や酒船石や石舞台であり、天武、持統天皇陵をはじめとする幾つもの天皇陵であり、高松塚はじめ多くの古墳群であり、そのような、いわば古代日本の不思議な遺物が、村のあちこちに点在しているからである。このようなところは、日本でただひとつ、明日香村だけ。
そして、その周りは、ただ普通の田や畑があるだけ。その向こうには、低い山並みが見えるだけ。
これが、実にいい。気持ちが安らかになる。平らかになる。

近鉄の飛鳥駅の前も、こういうものである。
駅前、バス停があり、家が幾らかはあるが、その向うは畑である。小さな車が幾らか停まっているが、おそらくこれは、家族を迎えにきた車だろう。先の方は、やはり低い山並みが見える。

近鉄飛鳥駅のホームには、こういう看板が懸かっていた。
古代日本のスター遺物が多くある。さすが、飛鳥だ、明日香村だ。
これを、世界遺産に、という動きがある。
奈良へ戻る近鉄の途中の駅からも、そのような横断幕が見えた。「飛鳥・藤原の文化遺産を世界遺産へ!」と書いてある。
そんなこと、する必要なんかない。私は、そう思っている。
明日香村に点在する、古墳時代、そして飛鳥時代の文化遺産は、今の田んぼや畑も含め、日本遺産でいい。世界遺産になんかすることはない。
日本のまほろば、日本人の心の故郷なんだから。