平城京を少し。

平城遷都1300年祭、4月末から11月初めまで、6カ月余にわたり開かれている。
JR奈良から無料のシャトルバスが、10分毎に出ている。20分足らずで着く。少し覗いてみた。
ウィークデーでもあるし、蒸し暑い時期でもあるし、JRや近鉄、また、奈良県や奈良市の関係者の皆さまが期待するほどには、人の数は出ていなかった。

シャトルバスを降りたところにある案内板。
平城京は、南北約5キロ、東西約6キロの碁盤目状の都。唐の都・長安を模して造られた。中央を真っすぐにのびる朱雀大路の幅員は75メートル。
その北の端に、ほぼ1キロ四方の広がりを持つ平城宮が造られた。高さ5メートルほどの築地塀で囲まれていた、という。
その平城宮のそのままの跡地が、遷都1300年祭の会場となっている。だから、会場内、だだっ広い。入場無料。
当時の模様を、3D映像で5面のマルチスクリーンを使って再現しているものも含め、仕掛けがある「平城京歴史館」のみ、入場料がいる。遣唐使船にも乗れるし。

朱雀門。
この朱雀門だけは、10年ほど前に復原された。
近鉄の車窓から見ると、他に何もない原っぱの中に、この門だけが建っていた。

復原された遣唐使船。
全長30メートル、全幅9.6メートル、マストの高さ15メートル。排水量は300トンで、積載荷重は150トン、だそうだ。
なお、遣唐使の派遣は、630年から894年にかけ、20回計画されたが、天候不順で中止になることなどがあり、実際に唐に渡ったのは、15回だそうだ。
こういうことが、「歴史館」に入った時に貰ったパンフレットに書いてある。こんな些細なことばかりでなく、「歴史館」では、当時のアジア情勢や、日本の立ち位置、さらに、太安万侶や山上憶良、行基などのことも教えてくれる。
しかし、何と言ってもこの時代のスターは、吉備真備や阿倍仲麻呂をはじめとする遣唐使の面々だ。皆さん、進取の気象に富んでいる。政治、経済、宗教、学問、技術、その他あらゆる分野の先端を、先進国・唐から吸収する意気に燃えている。あとひとりスターを加えると、唐僧・鑑真だな、やはり。
とても勉強になる。小学生坊主やお嬢ちゃんたちに、是非見てもらいたいな。私のようなジイさんは、今はかろうじて憶えているが、ひと月もすればコロッと忘れてしまう。でも、小学生なら、憶えたこと、そうは忘れない。是非小さな子供たちには勉強してもらいたい。夏休みにもなったし。奈良へ行ってくれ。

遣唐使船の上から大極殿を望む。
来ている人少ないな。

会場、つまり、昔の平城宮の中、近鉄の線路が通っている。
奈良から大阪や京都へ行く近鉄、普通、準急、急行、特急、数分おきに走っている。時には、2,3本続けて通り、踏切が開かない。
大極殿は、線路の向うだ。

会場が広いので、ハートフルトラムというこのような電気自動車が走っている。
身体に障害がある人や、高齢者、幼児などが乗れる。係の人が、「いいですよ」、というので、私も乗った。


だだっ広い向うに、復原された大極殿が見える。

その復原された大極殿。
9年の歳月をかけ、今年完成した。
平城宮の中でも最大の建物だ。間口44メートル、奥行20メートル、屋根の高さ27メートルある。

その中、天井近くの壁には、上村淳之の四神の絵が描かれていた。
これは、朱雀だろう。

大極殿の上から、朱雀門を見る。
会場内には、まだ平城宮の遺構の跡や庭園の跡などがあるのだが、行かなかった。
「資料館」のみに入った。
そこで求めた資料には、平城京の住民は4〜5万とも10万人ともいわれるが、天皇、皇族や貴族は百数十人。大多数は、下級役人や一般庶民たちだった、と書いてある。
「資料館」の中で説明をしていた係の人、やけに物知りの人だったが、その皇族や貴族、百数十人の年収は、今の貨幣価値にすると、数千万から多い人で1億だと言っていた。事実かどうかは知らないが、おそらく、そうだろう。
休憩がてら、レストラン遷都で昼飯を食った。大和うどんセットを。
何故、大和なのかは解からぬが、その大和うどん、さすが関西、美味かった。付いていた高菜で包んだ「めはりずし」、本来の”目張り”に違う小ぶりなものだったが、これも美味かった。