道頓堀の看板。

法事が土曜日の午前中だったので、前日の夜大阪に行った。ホテルに小さな荷物を置き、夕飯を食べに道頓堀へ出た。
道頓堀も1年ぶり。ブラブラ歩いていると、食べ物屋が多い。新宿にしろ、渋谷にしろ、すすき野にしろ、栄にしろ、日本中あちこちの盛り場には、食べ物屋が多いが、大阪の盛り場には、特に多い。他の店はほとんどない。特に、道頓堀界隈には。
今更ながらではあるが、その店頭の看板も、いや大阪だなー、と思うものがあちこちにある。面白いので、その幾つかを写真に撮った。

店の前に大きなフグ提灯が懸かっている。「たよし」。

しかし、大阪でフグといえば何といっても「づぼらや」だ。あちこちに店がある。もちろん、大きなフグ提灯は懸かっている。
関東地方では、フグ料理は高級料理で、値も高い。なかなか食べられない。しかし、関西では、フグ料理は手軽に食べられる。安い。もっとも、東京と変わらぬ値を取る高級店もあるのだろうが、大衆的な値段の店が多い。この「づぼらや」などは、その代表格の店だ。
道頓堀ではないが、何年か前、新世界の「づぼらや」に入った時など、てっちり(フグちりのことです)が、たしか1500円ぐらいからあったような記憶がある。もちろん、素材の違いはあるにせよ、東京では考えられないこと、といえよう。

「かに道楽」の本店。これは、東京にもあるな。


これは、お分かりでしょう。でっかいヤツが看板に絡みついている。そうです。タコ焼き屋さんです。
一本裏の「づぼらや」別館のフグ提灯。4匹もぶら下がっている。

裏通りには、こんなデッカイ招き猫もいた。
「えこひいき」というこの店、あれもこれも299円均一、と書いてある。

新世界に本店があるらしいこの串カツ屋の前には、こんなオヤジが立っていた。

高いビルの屋上近くに、このオヤジの顔があった。
この鉢巻をしめた、いかにも頑固そうなオヤジの顔、大阪のあちこちに割烹から炉端焼きまで、さまざまな店を展開している「がんこ」という店のトレードマーク。だから、大阪のあちこちに、このオヤジの顔がある。

店の看板ではないが、戎橋の脇にあるグリコのネオン。
このネオンの人、10年1日どころか、何十年1日、ズーットこの恰好で走り続けている。ズーットこの場所で。

「くいだおれ」はなくなったが、”くいだおれ太郎”は健在だった。
女の子がピースサインで記念写真を撮っていた。”くいだおれ太郎”、今でも人気がある。
”くいだおれ太郎”もW杯を見ていたようだ。「ええ大会でしたな・・・・・」と言っている。

こんな看板もあった。細長いビルの2〜3階分をとった大きなものだった。
”天下無敵の二刀流で、日本一のごはん屋を目指す”のはいいが、よりにもよって、”むなし”とは。付けも付けたり。大阪らしいネーミングではあるが。

近寄りすぎたためか、大分ボケているが、この店「冶兵衛」で鱧料理を食った。
冶兵衛は、近松の紙屋冶兵衛の冶兵衛。ボケちゃっているが、この箸袋の顔も、鴈冶郎演じる冶兵衛の顔。
鱧料理は、京都の料理、京都以外で鱧を食うなんて田舎者のすること、という京都人がいる。中には、京都といっても、良い店でないと美味い鱧料理は食べられない、予算は1人あたり15000円から2万円程度の店でないと美味い鱧料理は食べられない、なんてことをいう京都の人がいる。
昨日書いた梅棹忠夫も、京都生まれの京都育ち、生粋の京都人だ。しかし、京都の人には、梅棹のような素晴らしい人も多くいるが、どうにもならない頑迷な京都の人も、時としている。鱧は、京都で、しかも高級料亭でないと、なんてことを言っている人もそうであろう。
とんでもない話だ。大阪の普通の料理屋では、その何分の一の値段で食べることができる。この「冶兵衛」もそう。鱧鍋に鱧の落とし、それに、鱧の皮酢とあと少し、さらに、少し酒を飲んでも、京都の高級料亭の何分の一だ。京都の高級料亭の鱧料理がどれほど美味いかは知らないが、大阪の普通の店の鱧料理も美味かった。特に、単品では一番安い鱧の皮酢が。
焼いた鱧の皮を、きゅうりと共に二杯酢で和えたもの。これは美味い。安いものでもあるから、この季節、関西へ行くとよく食べる。その度、上司小剣の『鱧の皮』を憶いだすが。ぐーたら亭主としっかり者の女房の話を。
鰻屋の娘のお文がむかえた婿養子の福造、これがどうしようもないぐーたらで甲斐性無しな男なんだ。子供もいるのに、あちこちに借金をこしらえて、今は東京へ逃げている。今日も、福造からお文へ手紙がくる。金を送ってくれ、との。そこに、鱧の皮も送ってほしい、と書いてあるんだ。お文、どうする。
鱧の皮の二杯酢は、ぐーたら亭主の福造の何よりの好物なんだ。「鱧の皮、東京にはおまへんてな」、お文はそう言い、蒲鉾屋で鱧の皮を一円分(この小説、今から100年近く前、大正3年に発表されたものです)買って小包郵便で送る荷作りをしてもらうんだ。泣けるな。
しかし、どういうワケか、大阪にはこういう健気というか、しっかり者の女房と、ぐーたらで甲斐性無しの亭主の物語が多いな。
織田作之助の『夫婦善哉』の柳吉と蝶子もそう、将棋の坂田三吉と女房の小春もそう、都はるみと岡千秋が歌う『浪花恋しぐれ』の桂春団冶とお浜もそう。大阪の夫婦の定番か。周りから見ていると面白い。
だがしかし、今では、こういう夫婦は少ないであろう。こんなぐーたらで甲斐性なしの亭主では、たちどころに女房の方から三行半を突きつけられるだろうから。
いつの間にか、道頓堀の看板からは外れてしまったな。