偉大な恩人の死。

ブログ再開します。
昨年死した叔母の一周忌に出るため2日に大阪へ行き、その後すぐ遷都1300年の奈良へ行った。
奈良には、あしかけ4日いたが、この間、雨が降ったり、曇っているかと思うと急に強い日射しになったり、という天気であった。奈良は盆地、連日とても暑かった。で、6日の夜には家に戻っていたのだが、一昨日、昨日と2日間、疲れてブログどころでなく、家でグターとしていた。
この間、相撲協会の野球賭博問題、琴光喜と大嶽親方が解雇された。謹慎その他、処分を受けた力士、親方多数。協会は、天皇賜杯、内閣総理大臣杯はじめすべての外部からの表彰を辞退した。致し方なかろう。
NHKは、名古屋場所の中継を取り止めた。NHKへの電話の7割が、中継反対だという。それはそうだろう、電話をするような人は、と思う。しかし、私は、このNHKの判断には疑問がある。
声なき人たちの声を聴いていない、と考える。法は法。法律を犯したことは、罰せられて然るべし。しかし、少し乱暴を承知で言えば、大相撲の中継とは別問題。そのように考える度量もあってよかろう、と考える故である。大相撲の中継は、野球の中継とは異なる。土台、大相撲自体、単なるスポーツではないのだから。
大相撲に関しては、朝青龍騒動と貴乃花の理事選問題の時、1月28日から2月5日にかけて、10日ばかり連日書いたことがある。その時に何人かの方の言葉にも触れたが、横綱審議委員を長く務めた高橋義孝の言葉も紹介した憶えがある。
高橋義孝、「相撲なんてものは、シャカリキになって見るものじゃない」、というようなことも言っていた。永年相撲を見続けた、粋人学者の高橋義孝だからこそ言える言葉ではあるが、深い言葉である。NHKの会長に聞かせたい。
ま、高橋さんのような人は特別だとしても、日本中に相撲の中継を楽しみにしている人は多い。多くの年寄りは相撲好きであり、NHKの中継を楽しみにしている。
以前、私が若い頃2度にわたり、通算2年半以上3年近く結核療養所に入っていた(その時は、花札や他の賭けごとについてだったが)ことを書いたが、長期の入院生活を送る患者にとって、相撲中継を見ることは、一般世間では考えられないほどの重さを持っていた。今でも、同じであろう。
刑務所には入ったことがないが、長期間刑務所に入っている人たちにとっても、同様であろう。先般の、服役中の暴力団の親分に、子分たちが維持員席でその姿を見せる、という問題はあろうが。罪を償っている多くの服役者にとっても、その落胆ぶりは如何ばかりか、こんなことまで考えてしまう。
さらに、海外で、NHKの中継を楽しみにしている人も多い。モンゴルばかりでなくヨーロッパの国々でも相撲ファンは多い。南米へ移住した日系人も楽しみにしているであろう。特に、お年寄りは。
NHKは、このようなごく普通の人たち、声なき人たちの声を、切り捨てた。そう思えてしかたない。残念だ。
留守中の5日間、W杯も進んだ。
準々決勝で、ブラジルとアルゼンチンが共に敗れたのには、少し残念な思いがした。旅に出てまでW杯を見ることもなかろう、と思いながら、ブラジル対オランダ戦は最後まで見た。日本代表チームは姿を消したが、このゲームの審判団が日韓のチームだったから。ホテルの小さなテレビ、どういうワケか写りが悪い(酔っぱらって、単に手がブレているだけかもしれない)が、何枚か載せよう。

ゲーム開始前、両軍キャプテンに注意を与える主審の西村雄一。
解説者は、このゲームの裁きようによっては、決勝戦の審判団を任されることもあり得る、というようなことを言っていた。

主審の西村、ブラジル選手にレッドカードも出していた。
なかなか軽やかで、公平なジャッジをしていたように思えた。

準々決勝段階からだと思うが、こういうアピールもあった。レイシズムにノーと言おう、との。
翌日のアルゼンチン対ドイツ戦の前には、両チームのキャプテンが、やはり反レイシズムのアピールを読みあげていた。南アフリカ大会ならではだな。
参院選も終盤らしい。
この2日間、私の家の窓からは、選挙カーからの声などひとつも聞こえてこなかったが。
だがしかし、私にとって、この間の最も大きなニュースは、梅棹忠夫の死であった。
「知の巨人」の死、として各紙大きく報じていたが、それよりも、私は、梅棹忠夫こそ、日本の「本当の偉人」、「偉大な恩人」のひとりだと思っている。
今、日本には、科学博物館のようなものは除き、いわゆる美術関連の国立博物館、国立美術館は、11ある。
東京に、東京国立博物館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、国立新美術館、京都に、京都国立博物館、京都国立近代美術館、奈良に、奈良国立博物館、大阪に、国立国際美術館、国立民族学博物館、千葉の佐倉に、国立歴史民俗博物館、福岡の太宰府に、九州国立博物館、の11館である。
この中、5年前にできた九州国立博物館以外にはすべて行っているが、いつも残念というか、無念な感じを抱いてしまう。何のかのと言っても、日本は先進国である。G8の一国であるし、これは間違いない。そうすると、どうしても欧米の先進国と較べてしまう。美術館や博物館の分野でも。
なにも、大英博物館や、ルーブルや、メトロポリタンと較べてなんて、そんな無茶なことは思わない。だが、それでも、同じような狙いの美術館や博物館とは較べてしまう。そして、ウーンと思ってしまう。先進国、文化国家としては、もう少しなんとか、と。
その中で、唯一の例外が、大阪の万博の跡地に作られた国立民族学博物館、通称「みんぱく」である。「みんぱく」だけは、この分野の世界の博物館に対抗できる博物館である。私は、そう思っている。対抗できるどころか、凌駕しているんじゃないか、とさえ思っている。
そうバカでかい、というワケではない。だが、とても楽しい。単なる展示のみではない。映像はもちろん、音もあるし、参加ということも考えられている。だから、誰にとっても楽しいし、1日遊べる。
その「みんぱく」、国立民族学博物館を創ったのが、梅棹忠夫である。おそらく、同じような分野の世界のどの博物館にも負けない。
梅棹忠夫は、1974年の開設(一般公開は、1977年からであるが)からこの「みんぱく」の初代館長として、20年にわたり「みんぱく」の形、コンセプトを創ってきた。だから、私は、日本の本当の偉人であり、日本人にとっては、恩人と言ってもいいのじゃないか、と思っている。
今、世界の最先端の民族学博物館は、パリのケ・ブランリ博物館だと言われている。セーヌ川沿い、エッフェル塔の近くにある。丁度4年前、2006年に、ジャック・シラクが造った。
フランスという国は、文化国家を標榜するだけに、その大統領は、何か後の世に残る文化施設を造りたがる。ポンピドゥは、ご存じポンピドゥ・センターを造った。ミッテランは、新しいオペラ座、オペラ・バスティーユを造った。
ミッテランの後、長い間大統領をやったシラクも、オレも造る、と考えていたに違いない。シラクは、大相撲も好きな男だったが、相撲ばかりでなく、ヨーロッパ世界以外の文化にも関心があったようだ。で、ヨーロッパ以外の民族学資料を展示する巨大な博物館、国立ケ・ブランリ博物館を造った。
元々パリには、国立アフリカ・オセアニア美術館という、とてもユニークな美術館というか博物館があった。お面などのアフリカとオセアニアの民族美術が展示されていた。建物の地下には、コンクリの水槽があり、大きなワニがゆったりと浮かんでいた。そういう面白い博物館であった。その国立アフリカ・オセアニア美術館の収蔵品と国立人類博物館民族研究所の資料を合わせて、ケ・ブランリ博物館に持ってきたようだ。
2年半前になるが、一昨年の初め、この鳴り物入りで造られた国立ケ・ブランリ博物館を見に行った。
地下鉄を降り、セーヌの方から入って行くと、たしかにジャン・ヌーヴェル設計の建物、変わっていた。デカイが細長い。ユニークだ。しかし、それよりも何よりも、不思議というか、面白いのは、パリの街中だというのに雑木や雑草が生い茂っている。凝ったこと、洒落たことをするな、オヌシ、という感じを受けた。
館内、アジア、アフリカ、オセアニア、アメリカ、つまり、ヨーロッパ以外の民族学資料、美術品が展示されている。初めは、アフリカやオセアニアのこれでもか、と言わんばかりの展示品に圧倒されるが、その内、アジア、特に日本の展示を見て、力が抜けた。その頃、2年半前には、鎌倉か室町期の紙漉きの様子が展示されていたような憶えがある。拍子抜けした。なんだコリャ、という感を持った。
おそらく、どこの国の人も、自国の展示を見た時にはそう思うのではないか、と思った。何しろ、アジアといっても、極東の日本から中近東の国々までが含まれているのだから。各国の展示、底が浅い。これが今、世界最先端の民族学博物館か、と思ったな。
それだからこそ、日本の国立民族学博物館、「みんぱく」の素晴らしさが際立つ。その「みんぱく」を創った梅棹忠夫の偉大さがよく分かる。
梅棹忠夫の難しい本などは読んではいないが、手軽なものなら幾つか読んでいる。例えば、『裏がえしの自伝』(1992年、講談社刊)には、こうある。
わたしは大工、わたしは極地探検家、以下、芸術家、映画製作者、スポーツマン、プレイボーイ。失明前後の文章が集められている。小さい頃には、大工になりたかったそうだ。南極探検にも誘われたそうだ。定年になったら絵を描きたかったそうだ。ドン・ファンやカサノバ、世之介のようなプレイボーイにも憧れたそうだ。しかし、いずれもなれなかった、というお話である。
しかし、この遊び心が梅棹忠夫の本質であり、日本が世界に誇っていい唯一の博物館、美術館である国立民族学博物館を産みだした、といえるのだと考える。
90歳、老衰による死は、自然である。だが、梅棹忠夫の死、日本人にとっては、本当の偉人、偉大な恩人の死、と言えるのではないだろうか。