安吾の桜。

<櫻の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり團子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です>。
坂口安吾の『櫻の森の満開の下』は、その冒頭、こう書き起こされる。とても分かりやすい書き出しであるが、その内容は、難しい。その”嘘”という正体が。
説話形式の作品であり、怨霊物語でもある。死と繋がっている物語ではあるが、単に、妖艶な桜花に死を重ね合わせる(例えば、靖国の桜に死を重ねるような)、という物語ではない。
乱暴を承知で、この物語の概略を記せば、こうである。
私などが、安吾の文章を要約することは畏れ多い、ということもあるが、安吾の文章があまりにも美しい(とても平易な文章ではあるが)ので、できるだけ安吾の原文を挿んでいくことにする。
<昔、鈴鹿峠は旅人が櫻の森の花の下を通らなければならないやうな道になってゐました>。
鈴鹿峠は、今、鈴鹿サーキットがある三重県北部であるが、昔から多くの人が行き来した峠である。そこに一人の山賊が住んでいる。彼は、峠を通る旅人を襲っては殺し、身に付けているものを奪い、連れの女をさらってくるんだ。
<始めは一人だった女房がもう七人にもなり、八人目の女房を又街道から女の亭主の着物と一緒にさらってきました>。
都から来たその女は大変なわがまま者で、山賊の女房の内、一番醜い女を除いた他、皆殺させたばかりか、その内、都に帰りたい、と言いだす。こんな何もない山の中はイヤだと言って。ついに男は、都に行くことにしたのだが、一つだけ気にかかることがあった。満開の桜花を見てからにしたい、と思っていたんだ。2〜3日後には、森の櫻が満開になるところだったから。
<三日目がきました。彼はひそかに出掛けました。櫻の森は満開でした>。

満開の桜花を見た後、男は女と都に行き、住む。都での男は、人並みに水干などを着て歩いていたのだが、鈴鹿峠の山賊、だんだん退屈になる。
<人間共といふものは退屈なものだ、と彼はつくづく思ひました>。
<ある朝、目がさめると、彼は櫻の花の下にねてゐました。櫻の木は満開でした>。
で、男は、山へ帰ろうと決心する。だが、当然のことながら、都の女は、同意しない。怒る。男は、自分一人でも山へ帰りたい、と言うんだ。
<「だからさ。俺は都がきらひなんだ」 「私といふ者がゐてもかえ」 「俺は都に住んでゐたくないだけなんだ」 「でも、私がゐるじゃないか。お前は私が嫌ひになったのかえ。私はお前のゐない留守はお前のことばかり考へてゐたのだよ」 女の目に涙の滴が宿りました。・・・・・女の顔にはもはや怒りは消えてゐました。つれなさを恨む切なさのみが溢れてゐました>。
<「だから、お前が山へ帰るなら、私も一緒に山へ帰るよ。私はたとへ一日でもお前と離れて生きてゐられないのだもの」>。
で、男と女は山へ帰る。山道に入ると、男は女を背負って歩く。櫻の森が、眼前に現れる。
<男は満開の花の下へ歩きこみました。あたりはひっそりと、だんだん冷たくなるやうでした>。

ここからが、深い説話の世界に入る。実は、彼が背負っていたのは、鬼だったんだ。彼は、その鬼を絞め殺す。しかし、実は、彼が鬼だと思っていたのは、やはり、都の女だったのだ。
<彼は女をゆさぶりました。呼びました。抱きました。徒労でした。彼はワッとなきふしました>。
<櫻の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。あるひは「孤独」といふものであったかも知れません>。
<女の姿は掻き消えてただ多くの花びらになってゐました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身體も延ばした時にはもはや消えてゐました。あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめてゐるばかりでした>。
でこの不思議な物語は終わる。
怨霊説話、ではある。人間存在、本来孤独、でもあろう。だが、この説話、純愛物語でもあろう。そんなことを言う人は、いなかろうが。少なくとも、艶やかな桜花に、死を思うとか、パッと咲きハラハラと散る桜花に、死を重ねるといった、ありきたりのものではない。安吾の桜は。
<半年のうちに世相は變った>、で書き出され、<生きるといふ事は實に唯一の不思議である>、ということも述べている『堕落論』から1年半後の作品であるが、人間が生きることの本質に迫ったものであろう。
安吾の桜は。