日常の桜。

ゆっくりと歩いていると、町中のあちこちに、桜木があることに気づく。一斉に咲き誇るこの時季だからこそ、気づくのであろうが、日常のすぐ隣に、日常の中に、桜がある。
普通の家から細い道一本隔てた、小さな公園のブランコやすべり台の横にあったり、崖の上にあったり、ちょっとした広場にあったりする。この季節になり、初めて、「ああ」、と気づく桜木である。いずれも、日常の桜。

町中の公園の、ブランコやすべり台の横には、案外、桜木があるな。すぐ外には、民家が建ち並び、日常の時が流れる。

ここにも、すべり台があった。木製の、少し時代がかったジャングルジムもある。
その周りには、大きな木と共に、やはり、桜木もある。

高台にある大きな桜木を通して見ると、周りには、びっしりと家々が建ち並んでいる。
それらの家々の窓からも、一本、スックと立ち、四方に枝を伸ばす、この大きな桜木は、見えるだろう。

民家の突きあたり、石組みの上に、小さな桜木があった。満開だ。

大きなコンクリートの建物の横、雑草の生えた広場の端に、小ぶりな桜木が何本か立っている。
広場では、子供たちがキャッチボールをしたり、サッカーボールを蹴ったりして遊んでいるが、無機質なコンクリの横に立つ桜木、この季節じゃなければ、目に入らないだろう。花の時季なればこそ。
町中、あちこちにある桜木、それぞれの花を咲かせるこの時季になると、それらすべて、日常の桜となる。
春爛漫の今日、嬉しいことがあった。
とても楽しく、とても嬉しい日であった。