東博の桜(続き)。

昨日、途中で眠くなり中断した、「博物館でお花見を」、という東博の桜、今日は、生きている桜木篇。
この時季、本館裏の庭園が解放されている。秋の庭園開放の折にも記したが、さほど広い庭ではない。真ん中に池があり、その周りを回遊する。あちこち、移築された由緒ある茶室などが点在している。さほど広くない、とはいうものの、さまざまな樹木が植わっており、ところによっては、山の中と思えなくはない、というところもある。
桜木も、10種ほどあるという。
桜は、野生種の他に、交配されて作出された園芸品種が、それこそべらぼうに、何百種とあるそうだから、10種程度というのは、それほどの種数ではないのかもしれないが。しかし、日常あまり耳にしない名の桜も、幾つかある。
昨日撮った写真、載せてみよう。

本館右手の入り口から、庭園に入ってすぐ右にある、ミカドヨシノ(御帝吉野)。
エドヒガンとオオシマザクラとの交配による、園芸品種だそうである。樹高の高い桜木であった。

ロトウザクラ。
ロトウとは、いったいどういう字を書くのだろう、と思い調べると、”魯桃桜”、と書くようだ。
どうも、シベリア原産のもののようで、魯桃の魯とは、ロシアのロ、ともいわれているそうだ。
さらに、ロトウザクラとはいうものの、実は、桜ではなく、桃の仲間だそうだ。一見、桜そっくりであるが。それで、名前に、桃と桜、両方の字が使われているらしい。

ショウフクジザクラ。正福寺桜、と書くようだ。
園芸品種には、場所の名前が付いたものが、幾つもある。正福寺は、広島県にある寺。おそらく、その寺かその近辺で作出されたものだろう。
小ぶりな木であったが、赤みの勝った花色の桜木であった。
なお、庭園内には、やはり、場所の名の付いた、ケンロクエンキクザクラ(兼六園菊桜)もある。貰ったパンフレットに記されている、この桜木がある場所には、それらしき桜木は見当たらなかった。この後、行き会った、台車を押していた、管理をしているらしき人に聞くと、「ああ、あれは花が遅いんだ。開花は、まだ先になる」、と言っていた。見当たらないはずだ。

しかし、何といっても、一番多いのは、ソメイヨシノ(染井吉野)だ。
これは、応挙館の横にあるソメイヨシノ。

周りを、濃緑の木々に囲まれた中に、ソメイヨシノのひと枝があった。
周りが、濃い色であるだけに、清楚、可憐、なたたずまいをより強く感じた。

本館すぐ裏の、シダレザクラ(枝垂れ桜)。
エドヒガン(江戸彼岸)の枝垂れ桜、となっている。
その左に、少し見えているのは、オオシマザクラ(大島桜)。花色は、白い。
なお、エドヒガンもオオシマザクラも、交配種、園芸品種ではなく、野生種だそうだ。
まだ少ないが、池の面には、風に飛ばされた花びらも浮いている。

池の面に、本館が映り込んで、揺らいでいる。
中央部にボンヤリと映り込んでいるのは、前の写真のオオシマザクラ。

そのオオシマザクラ、近寄ってみると、このようなもの。

エドヒガンのシダレザクラ。
どうも、江戸彼岸の枝垂れ桜、と漢字で書く方がいいな。江戸も、彼岸も、枝垂れるも。
桜は、凛とした桜木も、清楚で可憐な桜木も、艶やかで匂うが如き桜木も、いずれもいいが、どこかボウとした、枝垂れた桜木も、いい。捨て難い。単に、カメラがブレているだけなんだが。

これは、もっとブレているが、江戸彼岸の枝垂れ桜。

庭園を出た後、本館と今改修中の東洋館の間に、この木がある。ヨシノシダレ(吉野枝垂)だ。
この桜木、説明書には、こうある。
「里桜系の枝が枝垂れる園芸品種。センダイシダレとも呼ばれる。花は白色で微淡紅色を帯びる。昭和44年2月に、遺伝学研究所(三島市)から寄贈を受け植えたものである」、とあり、ギョイコウザクラ(御衣黄桜)とともに、東博の桜のシンボルである、という。
大きくなった盆栽、といった風情の桜木だ。

平成館の前にある、枝垂れ桜。花の色は、赤みが強い。
若木であるのか、樹高も低く、なにより細っそりとしている。
枝垂れる枝も、今にも折れそうなたたずまい。糸桜とは、このような桜木を、指すのではなかろうか。

平成館から表慶館へ向かうところにある、ヨシノザクラ(吉野桜)。満開だ。
なお、左の、枝を伸ばしている大きな木は、クスノキ(楠)。

近寄って、逆方向から見た、吉野桜。
先の方に見えるのは、平成館。
東博の桜、これで終わるが、実は、ひとつだけ見落とした。
吉野枝垂とともに、東博の桜のシンボルとされている、御衣黄桜を見落とした。この桜木は、法隆寺宝物館の裏手にあるらしい。法隆寺宝物館には、時折り行くが、その裏手までには、今までも行かない。だから、気づかなかった。
まあ、その内、行った時には、裏手にも回ってみよう。