散華の紙片。

把瑠都は、今日は勝ち、大関への昇進確率、7〜8割となった。明日以降、2勝1敗ではいくだろう。
夜、昨日の続きの法隆寺の番組を観る。丁度1年前に放映されたものの再放送。今日のタイトルは、「守り継がれた奇跡の伽藍」。
法隆寺の多くの伽藍、また、さまざまな仏たち、案外、知らないものが多い。法隆寺には、ずいぶん行っているのに。忘れているものも、多いんだな。
聖徳太子の像も、さまざま、幾つもある。昨日記した、釈迦三尊や救世観音を含め。当初の主目的である、国家統治の為ばかりでなく、太子信仰がどんどん広まっていったから。聖徳太子像の中から、胎内仏が見つかった例がある。その胎内仏・観音菩薩の頭の部分は、太子の口の部分にあったそうだ。聖徳太子の発する言葉は、観音菩薩の言葉である、ということだ。手が込んでいる。よく考えられている。
それにしても、生前の聖徳太子に似せて造られたという、釈迦三尊像も、救世観音像もそうだが、すべての太子像、アーモンド形の目、ずんぐりとした鼻、ややぽってりとした口、典型的なモンゴロイドの特徴が現れている。しかし、いずれも、威厳のある顔つきである。
一年、それぞれの季節に、さまざまな法要、法会、講が行われている。節分の鬼追いも、その初めは法隆寺からだそうだ。法要、法会の時には、散華も行われている。蓮の花弁を象った紙片、ハラハラと撒かれる。
3〜4年前になるだろうか、たまたま東大寺に行ったら、「本願 聖武天皇 千二百五十年御遠忌法要」、というものが行われたすぐ後で、法要で撒かれた色とりどりの、散華の紙片が、あちこちに落ちていた。何枚か拾い、その内の1枚を、母の位牌を納めた小さな仏壇に入れてある。
この次、法隆寺に行く時には、何らかの法要か法会のある時であればいいな、と思う。その時、僧侶の手から撒かれる、散華の紙片を数枚拾いたい、と思う。
いずれにしろ、今年は、平城遷都1300年の年。平成の大修理が終わった唐招提寺にも行かねばならないし、その内、奈良へ行くことを考えよう。