死への対話。

初めて知ったが、「閉じ込め症候群」、と呼ばれる病気があるそうだ。
意識はあるが、しゃべることも身体を動かすこともできず、自分の意思を、他人に伝えることができない状態のことを指すそうだ。いわゆる植物状態とは、違うようだ。
そうなったら、どうしますか? 今夜のNHKスペシャル「命をめぐる対話 ”暗闇の世界”で生きられますか」では、そう問うている。重いテーマだ。
館山だったか勝浦だったか、海の近くに住む、照川さんという人が、取りあげられている。照川さんは、意識はあるが、しゃべることも身体を動かすこともできない。しかし、頬のわずかな動きを感知するセンサーで、パソコンを操作することができる。その彼が、こういうことを意思表示している。
「完全なる”閉じ込め状態”になったら、死なせてほしい。闇夜の世界では生きられない。人生を終わらせることは、”栄光ある撤退”であると確信している」、と。
ノンフィクションライターの柳田邦男が、照川さんの所に訪ねて行っている。柳田邦男は、自らの子供の自死、脳死状態の子供の最後を看取った経験を持つ。その柳田、最後に照川さんを訪ねた時に、こういう言葉を書いて照川さんに見せる。「照川さんは、生きている」、という言葉を。
おそらく、柳田は、照川さんは、生きているんだ、たとえ完全なる”閉じ込め状態”になっても、生きていくことが大切だ、そうしてほしい、ということを伝えたのだろう。
番組の最後に、奥さんが押す車椅子に乗った照川さんが、海を見ている映像があった。照川さんの表情、心地よさそうであった。しかし、「完全なる”閉じ込め状態”になった時には、死なせてほしい」、という照川さんの意志は、変わらないであろう。柳田の言葉があったとしても。
私も、そう思う。私の答えも同じである。そのような状態になったとしたら、NHKのタイトルにある問に対し、私も、照川さんの言葉にあるような、”栄光ある撤退”をしたい、と考える。
そのすぐ後、ETV特集で、やはり、死をめぐる対話をやっていた。
去年10月に放映したものの再放送だが、「死刑囚 永山則夫〜獄中28年の対話〜」、と題するもの。
極貧の中に育ち、死への願望が強かったという永山則夫、1968年、それとは逆に、米軍基地から盗んだ22口径の拳銃で、4人の男を殺す。東京、京都、函館、名古屋で。連続射殺事件、と呼ばれた。翌年、19歳の永山は逮捕され、1990年、最高裁で死刑確定、1997年執行された。
逮捕された時、識字能力は、ほとんど無かったという。獄中で字を覚え、『無知の涙』を書く。社会への怒り、反感を表わした書を。ベストセラーになった。当時、私も買ったが、どの程度読んだのか、定かではない。
だが、きちんと読んだ人は多くいて、そのような人たちから、多くの手紙が永山の許に届く。その返信として、永山が獄中から書いた手紙は、1万5千通になるという。その一人が、永山と自らの越し方を重ね合わせた女性。当時、アメリカに住んでいたが、日本へ帰り、その後、永山と獄中結婚をする。
ミミ、と永山が呼ぶその女性の影響で、永山は変わる。一審では、殺せ、死刑にしろ、と言っていた永山、高裁では、贖罪の気持ちを述べる。自分が殺した4人の男が、自分と変わらぬ階層の人間だと知り、著書の印税(永山則夫、獄中で字を覚え、数千冊の書を読み、十数冊の書を上梓している)を被害者の遺族へ送り続ける。この女性の影響で。
一審死刑から、高裁では無期懲役となるが、最高裁では、上告棄却、高裁に差し戻され、最終的には、死刑が確定する。高裁に差し戻された時から、永山は、また変わる。それまでの弁護団を解任、永山を支えてきた女性とも離婚し、再び、国家、社会と対峙する。殺せ、だ。
死刑囚は、いつでも常に、死との対話、死への対話を続けているであろう。海辺に住む照川さんの死への対話と違うのか、同じようなものなのか、よくは解からないが。
いや、やはり、違う対話だな。死を考える日常、ということに於いては同じだが。
永山の遺骨、永山の望み通り、網走の寒い海に撒かれたそうだ。ミミ、という永山が獄中結婚し、別れた女性の手によって。