妄想の帰結。

15年前、1995年の今日、オウムは、地下鉄の車内にサリンを撒いた。
無差別テロ以外の、なにものでもない。
それまで数々行った、反社会的な事件に対する、強制捜査の攪乱を狙ったもの、とされているが、その大本は、何なのか。麻原彰晃と名のる、ひとりの男の妄想の帰結に過ぎなかったのか。
死刑が確定している麻原こと松本智津夫、裁判では何も言わず、今も刑務所の中にいる。刑の執行はされていない。まだ逃亡している信者の犯人が捕まるまでは、死刑の執行はされないらしいが、麻原自身、何故にそれほど生きたいのか、解からない。
13人が亡くなり、負傷者は、6000人を超えた。これらの人々、今もって苦しんでいる。理不尽だ。
誰にでも、妄想はある。妄想も、創造の一形態だろう。しかし、個人の妄想は、他者に累を及ぼしてはいけない。妄想は、自己帰結させるべきものだろう、誰しもが。
7年前、2003年の今日、アメリカは、イラクへ侵攻した。
サダム・フセインのイラクが、大量破壊兵器を持っている、と言って。
時の大統領・ジョージ・W・ブッシュ、その前年には、イラクをイランや北朝鮮と共に、”悪の枢軸”と呼んでいた。チェイニーやラムズフェルドの後押しもあり、イラク叩きの機会を窺っていた。イラクへ侵攻するや、短時日の内にバグダッドを陥れた。
その後、イラク全土をくまなく探したが、ついに大量破壊兵器は、出てこなかった。サダム・フセインは見つけ、早々に処刑したが。
たしかに、サダム・フセインには、問題があった。しかし、それだけでは、他国へ攻め込むことはできない。大量破壊兵器を保有、というガセネタが、ブッシュの妄想を膨らませた。
大統領がオバマに変わり、来年末には、イラクからの完全撤退となっているが、その間の米軍兵士の死者は、おそらく、5000人近くに及び、それ以上に、イラクの一般人の犠牲者は、65万人とも100万人とも言われている。これも、理不尽なことじゃないか。
これも、妄想の帰結が、他者に大きな犠牲を負わせたことになる例だろう。
妄想など、他愛のないものがいい。それが膨らんできた時にも、自己帰結ができる範囲のものが。