訣別、独立した句。

ひと月ほど前に撮ったものだが、寒空の中に立つ木。

枝が、みな切り落とされている。故あって切られたのであろうが、なまじガッシリとした木であるだけに、どこかヤンチャ坊主のような感じもあるし、無頼な暴れん坊が、お仕置きを受けたようにも思える。
角川春樹著『角川家の戦後』(思潮社刊)を読む。
世に目を引く一族は数々あるが、角川家も凄まじい。父・源義は、俳人にして角川書店の創業者。姉は、作家の辺見じゅん。弟・歴彦は、角川書店の現社長。母親はじめ繋類の人たちも、常人から見れば、凄いというか、凄まじい。
角川春樹自体、世に知られた様々な顔を持つが、麻薬がらみで、懲役4年の実刑判決を受け、服役経験も持つ。さらに、これもよく知られているが、俳人として著名。
無頼の血を引く角川春樹、親子、兄弟の愛憎の修羅、なまなかなものではない。
今では、それほどには行われてはいないだろうが、20年ほど前には、各出版社のパーティーは派手だった。帝国ホテルやホテルオークラ、ニューオータニなどの一番広い宴会場が使われた。小学館や講談社のパーティーには、1500人ぐらいの人が招待されていた。マガジンハウスの福引きには、1等は自動車、2等は海外旅行なんてものが出ていた。しかし、角川書店のそれは、他社とは異なり、異色だった。
パーティー会場の中、カジノなんだ。ミニ・ラスヴェガス、という状況設定なんだ。ルーレット、ブラックジャックやポーカーのカード台、でかいホイールなんかもあったし、もろ肌脱いだいなせなお姐さんが立て膝で座り、手本引きや丁半、といった日本の賭場を模した所もあったように思う。入る時に5千円分だったか1万円分だったかのチップをくれる。それを賭ける。チップをスルと、知合いの角川の社員が来て、またチップをくれたりした。
角川春樹が、まだ角川書店の社長だった頃だからできたんだろう。会社自体、無頼な色の活気があった。それはともかく、
『角川家の戦後』には、扉のあとに、「角川春樹 魂の一行詩」とあり、「叛逆」、「角川家の戦後」、「定年」、「海鼠」、「猿田彦」、と句が進む。
角川春樹、短いあとがきの中で、こう書いている。
<「魂の一行詩」とは、日本文化の根源にある、「いのち」と「たましひ」を詠う現代抒情詩のことである。古来から山川草木、人間を含めあらゆる自然の中に見出してきた”魂”というものを詠うことである>、と。
角川春樹の句、いや、魂の一行詩、できるだけこの季節、寒い時季のものを拾ってみる。
     放蕩やわれに蹼ある夕べ
     にんげんの生くる限りは流さるる
     風呂吹きやいのちぬくもる一行詩
     裸木を見てゐて何も見てをらず
     いつ死ぬるどこで死ぬるか冬かもめ
     煮凝や雨の中なる雨の音
     脱獄の寒さ骨から始まりぬ
     寒昴地球に宣戦布告する
     個々にして無数のいのち冬銀河
     なんにもない光の中の冬の川
     風呂吹きやいのちあるだけ生きるんさ
     走る走る狼走る荒地かな
     火を高く枯野を走る漢あり
     かの海鼠まだ生きてゐる殺すなよ
     娑婆からの賀状に夕日こぼれをり
     幽婚といふ恋のあり寒昴
     雑炊やいつも胸には夜の崖
     熱燗や恋ともちがふ仲であり
     雪をんな愛の一語は虚か実か
     寒昴雅き神が母を恋ふ
     いづこよりわれを呼ぶこゑ冬銀河
     獄中に鮫が来てゐる三日かな
     一脚の椅子に二月の海がある
     悪霊を待つ紅梅の日暮れかな
無頼の俳人、角川春樹の句、これも捨て難いな、と拾っていったら、ずいぶん多くなった。まあ、いいだろう。
最後に、角川春樹、こう書いている。
<今、私は「俳句」という子規以来の言葉の呪縛から解き放たれ、独立した>、と。