寒いので。

夕刻、外へ出たら、寒い。細かい雨も降ってるし、余計に寒く感じる。昨日よりも、なお寒い。
その内、ビニール傘に当たる雨音が、固くなってきた。雹か、霰か、霙か、いずれにしても氷雨になるかもしれないな、と思う。弥生三月だというのに。

村上護著『山頭火百二十句 道の空』(春陽堂刊)を読んだ。
北海道新聞、信濃毎日、その他何紙かのブロック紙や準ブロック紙に、週一で2年間連載していたものを纏めたもの。1月から12月まで、睦月から師走まで、各月、12章に纏めてある。
明治15年(1882年)、山口県の大地主の家に生まれた山頭火、早稲田に入ったり、やめたり、結婚したり、別れたり、造り酒屋を買収したり、破産したり、古本屋をはじめたり、図書館に務めたりと、まあ、よく知られた様々なことがあり、大正14年、熊本で出家得度する。
その前年、熊本市内で泥酔し、電車を急停車させる問題を起こし、曹洞宗の寺に連行され、それが縁となって、禅門に入る、と村上護の本にある。この酒癖は、生涯ついて回る。山頭火ならずともだが。いや、山頭火においておや、と言うべきか。しかし、この酒癖が、自由律俳句の巨人・山頭火を産んだのは確かだろう。
出家得度の翌年、大正15年(1926年)、いよいよ一所不在、乞食行脚の旅に出る。そして、昭和15年(1940年)、松山で、58歳の生を閉じる。自由気ままな一生を終えたんだ。他人には迷惑も掛けていたんだろうが、このような男には、助ける人も多くいるもの。山頭火も、きっと、そうだったろう。

それはともかく、今日は、どうして山頭火になったのかな、と思い、考えてみると、夕方外へ出たら寒かったからなんだ。それで、夜、村上の本を読んだんだ。各月の句が出ているので。
で、今の時季、2月から3月、如月から弥生にかけての山頭火の句を、『山頭火百二十句 道の空』から拾い、幾つか載せておくことにする。
     だまって今日の草鞋穿く
     寒い雲がいそぐ
     ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
     酔うて闇夜の蟇踏むまいぞ
上の句は、昭和7年から15年にかけての、如月・2月に詠まれた句の一部。
弥生・3月から拾うと・・・・・
     ふるさとは遠くして木の芽
     春風の鉢の子一つ
     春の雪ふる女はまことうつくしい
     うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする     

そして、
     おちついて死ねさうな草萌ゆる
昭和15年3月12日、松山一草庵での作である。村上護は、こう書いている。
<山頭火は捨てて捨てて何も望まぬような人生であったが、念頭は二つだけあった。その一つは、ほんとうの自分の俳句を作りあげること。もう一つは病んでも長く苦しまないで、あれこれ厄介をかけないで、めでたい死、「ころり往生」を遂げることだった>、と。
まさに、そうなった。この年の秋、脳溢血で倒れ、コロリ往生を遂げた。
なお、上の句と同類の次の句もある。
     おちついて死ねさうな草枯るる