何故に等伯。

ウィークデーの日中だというのに、東博の平成館の中、人でいっぱい。長谷川等伯の没後400年を記念する特別展、すごい人気だ。
今年の初め、「芸術新潮」が、今の各界を代表する68人の人たちに問いかけた”日本遺産”について、半月ばかりこのブログで連載したことがある。その時、絵描きで複数票を集め、ベスト10に入ったのは、長谷川等伯だけだった。雪舟や、葛飾北斎を押しのけて。等伯の水墨画「松林図屏風」だった。
今回の特別展、国宝3点と重文30点が出ているが、その「松林図屏風」と、その対極にある金碧画「楓図壁貼付」が目玉。
だから、東博を入ると、すぐ目の前に、「楓図壁貼付」をあしらった下のポスターがある。<絵師の 正体を 見た。>、と刷り込んである。

もちろん、平成館への道筋には、最大の目玉「松林図屏風」をあしらったボードが幾つも立っている。ここにも、<絵師の 正体を 見た。>、との刷りこみは、もちろんある。

平成館の壁には、「松林図屏風」の大きなパネル。もちろん、ここにも、<絵師の 正体を 見た。>、はある。

今から500年近く前、1539年、能登七尾に生れ、丁度400年前の1610年に、江戸で死んだ長谷川等伯、如何なる絵描きか。その正体は。そして、今、何故に等伯なのか。
今年の初め、「日本遺産」の補遺でも記したが、私は、日本の絵描きで最大の巨人は、葛飾北斎だと思っている。版画のみならず、肉筆画を含め、その感覚、技量、幅の広さ、北斎を超える絵描きはいない、と思っている。
しかし、長谷川等伯もまた、とても幅の広い絵描き、オールマイティーの絵描きである。何より、とてもエネルギッシュな絵描きである。七尾にいた頃は、仏画や肖像画を描いていた。30代で京都へ出てからは、あらゆる技法を学び、自らの手にしていった。
水墨画、大和絵、当時絶大な勢力を誇っていた、狩野派の技法をも取り入れた。彼らとは異なった感覚を加え。単に雄渾な筆使いだけでなく、情趣という要素を入れたな、と感じられる。だから、狩野派の総帥・狩野永徳が危機感を持った。張りあった。装飾性も感じられる。後の琳派を思わせるものもある。
政治力も持っている。熱心な法華信徒であることから、日蓮宗の宗教指導者の肖像画も多く描いている。また、時の権力者・豊臣秀吉が建立した祥雲寺(今の智積院)の金碧障壁画(これが、「楓図壁貼付」だ)をも描き、千利休の知遇も得る(利休の肖像画、とても格調高いものだ)。バイタリティーにあふれている。
水墨画は、南宋の牧谿の作品から学び、自ら”雪舟五代”と称するに至る。その極致が、「松林図屏風」となり、結実する。
しかし、これは、何とも不思議な絵だ。この作品、東博の所蔵で、常設展でも時折り展示されているので、何度も見ているが、不思議な絵だ。何らかの下絵という説もあるそうだが、墨の濃淡、というよりも、むしろ霧にかすむ”淡”、いや、薄墨の跡もない、描いていないところを描いた、ともいえる絵じゃないか。だから、水墨画の極致となったんじゃないか。雪舟を超えた。
絵は出せないので、無茶は承知で、東博内の立看板の拡大写真を出しておこう。そう思えるかどうかは、解からないが。

それにしても、不思議なのは、この水墨画の極致である「松林図屏風」と、その対極にある金碧画の「楓図壁貼付」が、おそらく、同じころに描かれたのじゃないか、とも言われていることだ。等伯50代の半ばに。
こういうところに、長谷川等伯の正体があり、今、何故に等伯、という秘密があるような気がする。エネルギッシュという言葉では、掴みきれない絵師・等伯の正体があるような。
今回の特別展、私にとっては、神戸の香雪美術館所蔵の「柳橋水車図屏風」が見られたことは、幸せだった。今年の初めの「日本遺産」補遺の中で、この作品について、見たことがないので、なんとも言えない、と書いた作品だ。
金碧画であるが、いわゆる金碧画とは、趣きを異にする。金泥の上にかかる深い緑褐色の柳の枝、その色調、フォルム、金碧画を超えた金碧画だ。等伯、金碧画の新しい潮流を産みだした。
この後、古い友人と待ち合わせ、夕刻、表参道の北川画廊へ行く。犬飼三千子展のオープニング。
小ぶりな画廊だが、表に自転車なんかがとめてあり、洒落た感じなので、外の写真も1枚撮った。
この画廊のオーナーは、女流美術作家。ここに住んでいるという。千葉県に住む私にとっては、今、表参道に住んでる人がいるなんてことは、やはり、驚きだ。絵とは、まったく関係がないが。

今回の犬飼三千子の作品のひとつ。タイトルは、「生命の力」。

こういう立体作品もあった。マスク。紙を使っているらしいが、面白い。
今まで知らなかったが、仮面も作っているそうだ。犬飼、何でもやるんだ。
仮面に類するものが好きなので、ひとつ予約した。掛けるスペースなど、もう殆んどないのだが。