美空ひばりとヘミングウェイ。

オリンピックが終わると、何か少し気が抜けたような感じになった。日本選手が勝とうと負けようと、オリンピックというお祭に浸っていた。それが終わった。まさに、宴のあと、という感じに襲われた。
オリンピックの終盤に起きた、チリ地震についても、オリンピックが終われば書こう、と思っていた。ハイチとは、社会状況も民度も違い、ハイチほどではないにしろ、200万人もの被害者がいるというし、800人ぐらいの人が亡くなっているし、また、ハイチ同様、「助けなきゃ」、ということを書こうと思っていた。
また、後半はギブアップが続き、3勝6敗となったが、前半は善戦が続き、よく取りあげたカーリングについても、尻切れトンボにならないよう、閉会のあとで、また書こうと思っていた。その総括を。優勝を争ったスウェーデンとカナダのスキップは、いずれも40代。日本のスキップ・目黒萌絵は、まだ20代半ば、これからだ、ということも含め。
しかし、閉会式が終わってみると、終わっちゃったか、という感じが強くなり、他のことを書く気が失せてしまった。で、一昨日、昨日、と2日間書かなかった。我ながら、単純なヤツだなという思いはするが、オリンピックというお祭に、暫く嵌まっていた。それほどに、このお祭、面白かった。いい年をして、と言われようとも、何と言われようとも。
”ウチの隣りのおじさんはー、神田の生まれで、チャキチャキ江戸っ子、お祭りさわぎが大好きでー、・・・・・”、という美空ひばりの「お祭マンボ」、という歌が頻りに思いだされた。この歌の後の方は、”・・・・・お祭りすんで、日が暮れてー、・・・・・”というのであるが、そのフレーズが、一昨日、昨日、頻りに出てくる。
この歌、最後は、お祭り好きのおじさんやおばさんが、泥棒に入られたり、火事にあったりとして、”いくら泣いても、あとのまーつーりー”、となる。オリンピック祭りが終わっても、泥棒に入られたり、火事にあったりはしないが、何となく、祭りのあとの寂しさは、似ている。だから、そう思い入れのある歌でもないのに、この2日間、頭に浮かんできたに違いない。
と、今日になり、今度は、ヘミングウェイの「移動祝祭日」、が頭に出てきた。たしか、初めに、「パリは、いつも移動祝祭日だ」、ということがあったな、と思って。もう随分昔に読んだ本で、若き日のヘミングウェイのパリ時代のことを書いたもの、ということぐらいで、その内容など、まったく忘れているのだが。
探したら、出てきた。1964年、三笠書房から出された、福田陸太郎訳のもの。ケースの頭は、埃が固まり真っ黒になっている。若き日のヘミングウェイの写真も、何枚も載っている。
巻頭には、<・・・なぜならパリは移動祝祭日だからだ>、とあり、”いつも”、という言葉は、なかったが。”いつも”という言葉はないが、パリの何処かは、いつも祝祭日、いつもお祭りなんだ。若いヘミングウェイにとっては。
この「移動祝祭日」、1960年、キューバで書きあげられている。ヘミングウェイが、猟銃を口に咥え、自ら引き金を引く前年だ。1921年から1926年までの、22歳から27歳までの、ヘミングウェイのパリでの動きが描かれている。20章から成り立っているが、それぞれが、独立したものと言えば、そうである。ヘミングウェイ自身、序文で、<もし、読者がお望みなら、この本は小説とお考えくださってもよい>、と言っている。そういう本だ。
10章ほど読んだ。若き日のヘミングウェイ、カフェーで、ノートブックに小説やレポート(新聞社の特派員として、パリへ行っていたんだ)を書いている。カフェ・オレや、ビールや、安い葡萄酒や、ラム酒を飲みながら。
1920年代のパリの、アメリカ人芸術家(アメリカ人に限らず、他の国の人もだが)のパトロンであり、先生でもある、アメリカ人大姉御・ガートルード・スタインの屋敷に出入りし、エズラ・パウンド、ドス・パソス、スコット・フィッツジェラルド、ジェイムズ・ジョイス、なんていうとんでもない人たちと交友を深める。お祭りでなくして、なんであろう。
セーヌ左岸の、<カルディナル・ルモワンヌ街の私のうちは3間つづきのアパートで、お湯も出ないし、防腐剤入りの室内用便器を除いては、室内のトイレもなかった。けれど、ミシガン州の屋外便所に慣れている者にとっては、まずまず快適といってもよかった>、といったアパートに住んでいる。これも、お祭りだったろう。若き日のヘミングウェイにとっては。
終章の「パリに終りなし」、の最後の行は、<これは、私たちがとても貧乏でとても楽しかった昔のパリのことである>、で終わる。死の前年、1960年、ヘミングウェイ61歳の時の文。おそらく、これを書くことによって、死の準備がひとつ整ったのであろう。そう思える。とても楽しい物語だ。
オリンピックのお祭りが終わり、美空ひばりの「お祭りマンボ」の”お祭りすんで、日が暮れてー”、が頭に浮かんできて、少し気が抜け、2日ばかり、ブログを書く気力も失せていたが、ヘミングウェイの「移動祝祭日」、を思い出し、若き日のヘミングウェイのパリでのお祭りの日々を読み返すことで、少し元気が出てきた。
いずれにしろ、単純だな、オレは、とは思うが。