強い意志。

浅田真央は、勝ちにいった。自分の滑りをして勝つんだ、ということだけを考えていた。
一昨日のショートプログラムでは、4.72の差をつけられている。世界歴代最高点を出した、キム・ヨナの演技は、完璧だ。だが、それをひっくり返す。自分の演技だけに、集中する。トリプルアクセルは、2発とも完璧に決める。それ以外の滑りも、ミスはしない。そして、勝つ。浅田真央は、確実に、そう思っていた、と思う。
今のキム・ヨナが、どれほどの滑りをするか、いかに完璧な演技をし、どれほどの高得点を出すか、浅田真央自身、いやというほど解かっている。それに勝つには、自分の滑りだけを考える。キム・ヨナのことは、考えない。そう思っていた、確実に。
直前に滑り、フリーでも完璧な演技を終えた、キム・ヨナから、カメラが浅田真央に振られた。浅田真央、リンクは見ず、耳にイヤホーンをはさみ、下を向いて、集中していた。だが、観客の大きな歓声は、聞こえていたようだ。またも、世界歴代最高点を出した、キム・ヨナの演技に対する歓声は、いかにイヤホーンをしていても、浅田の耳に届き、頭の中に入ってきただろう。
しかし、浅田真央は、ただひとつ、トリプルアクセルを2発決める、あともパーフェクトに、ということ以外、考えていなかった。そして、金を取るんだ、ということ以外、考えていなかった。
リンクに下り立った浅田の表情は、固かった。曲が始まり、滑りだしても、その表情は、変わらなかった。重厚といえば、重厚、荘重といえば、荘重な曲だが、重苦しいといえば、重苦しいといえる曲。ロシア人のコーチ・タラソワが、これで真央をオリンピックで勝たせる、といって選んだラフマニノフの曲。浅田は、終始、厳しい表情で演技を進めた。
2発のトリプルアクセルは、成功したが、その後、ミスが出た。滑り終えた浅田の表情は、固いままだった。SPとの合計で、自己ベストとなる得点が出ても、その表情は、固かった。世界歴代最高点を更新した、キム・ヨナとの得点差は、あまりにも大きかった。それ以上に、勝てなかった悔しさが、表われていた。金を取れなかった悔しさが。
試合直後のインタビューで、「4分間、どうでした」、と聞かれ、「そうですね、ああ、長かったというか、アッという間でした」、といったあと、顔を崩し、涙が溢れてきた。暫くの間、グラブをはめた指で涙を拭い、「悔しいですけど」、といい、「アクセルを2発決めたのは、良かったんですけど、ミスがあったんで、納得してないです」、ともいった。
今回のオリンピック、負けて、悔し涙を流した選手は、多くいる。しかし、浅田真央ほど、強い意志を持って勝ちにいき、敗れ、強い意志を持った涙を流した選手は、いないんじゃないか。
今回のオリンピック、私は、日本のメダルは、せいぜい2〜3個だろう、と思っていた。それが、今日の浅田の銀で、4個になった。よくやった、と思う。だが、メダルを取った選手も含め、今日の浅田真央ほど、強い意志を持って、勝ちにいった選手はいなかったんじゃないか。
ライバル対決、といわれていた。私たちもそう思っていた。しかし、一昨日のショートプログラムを見た後では、私たちも、キム・ヨナの方が、一枚上だな、と思った。だが、そのことは、私たち以上に、浅田真央には、よく解かっていた。今のキム・ヨナには、隙がない、ということが。
だが、浅田真央は、勝ちにいった。2発のアクセルと完璧な滑りで、私は勝つ、との強い意志を持って。それが、直後のインタビューで、溢れ出る悔し涙の粒を、グラブをはめた手で、ティッシュで拭う、その指に表われていた。
浅田真央とキム・ヨナの写真、1枚だけ載せておこう。表彰式の時のもの。朝日新聞の電子版から、転載したものを。
普段は、カナダに住むというキム・ヨナと浅田真央、試合の時以外は、会っていないんじゃないかと思う。しかし、試合が終われば、案外仲がいいんじゃないか、と思われる。似た者同士、といえばそうもいえるし。
さらに、2〜30年後、両国のフィギュア団体の幹部になり、あちこちの大会で、それぞれのチームを率いて、顔を合わせる、なんてことも大いにあり得る、と思われる。
その時には、”バンクーバーでは、アンタには勝ちたい”、とそればかり考えていた、といって、お互い笑いあえるんじゃないかな。
竹島問題、独島問題、などは、2〜30年後の、この二人に委ねたらいいんじゃないか。両国民とも、ゴチャゴチャいわずに。
そんなことまで、思わせるな、私には。