仕方ない。

NHKだから、できたのであろう。9時だったか11時のBSだったかのニュースで、引退会見をした後、車で国技館を後にする朝青龍の、車中での単独インタビューが流れた。
今日の一連のニュース映像の中で、最も朝青龍の胸中が表われていた映像であった。窓の外、暮れなずむ街中の風景が流れる中、朝青龍の横顔だけが映る。
「もっと続けたかったんじゃないですか」、との問に、「まあ、多少はね・・・はは・・・でも、これしか道はなかったんじゃないですか」、と穏やかな声で答える。「まだ挑戦したかったけどね・・・仕方ないと思っている」、とも言い、「土俵の上でもっとファンに見せたかったけどね」、とも言い、「もう、終わったんだ」、と言う。
その横顔、やや硬い表情ではあったが、その前、引退の記者会見をした時に見せた涙は、見せなかった。淡々と話していた。今日の昼過ぎ、理事会に親方と共に呼び出され、その後何時間かの間に起こったことの数々、さまざま反芻しながら、しみじみと話していた。これが、オレの人生なんだ、と思い、気持ちを抑えている感じを受けた。
朝青龍が引退を決意し、よかった。朝青龍ファンの私は、そう思う。たしかに、彼は、相撲、横綱という地位、普通の社会、そして、日本文化を甘くみた。親方の高砂も甘かったし、それ以上に相撲協会も甘かった。さらに、彼の周りにいる有名、無名の多くの日本人が、今の朝青龍を作ってきたとも言える。
朝青龍の問題は、朝青龍一人だけの問題ではない。相撲協会の問題でもあるが、日本人、日本社会全体の問題でもあろう。私は、そう思う。
引退を知らされる前に開かれた横審は、出席者全員の合意で、朝青龍の引退勧告を作成、理事会へ提出したそうだ。その文面は、こうである。
「畏敬さるべき横綱の品格を著しく損なうものである。示談の成立は、当事者間の和解にすぎない。横綱に対する国民の期待に背いた責任を免れるものではない。よって、”横綱としての対面を汚す場合”により、横綱引退を勧告する」、と。
たしかに、そうであろう。いや、そうである。
しかしだ。ことここに至った原因は、その最大のものは、当事者である朝青龍にあることは、もちろんだが、親方、そして、横審をも含めた相撲協会、さらには、日本社会にもある。私には、そう思えて仕方ない。
一昨年に定年で引退するまで、約6年の間、朝青龍の大いちょうを結っていた元特等床山の床寿は、こう言っているそうだ。「あれこれ言っても仕方ない。でも、涙が出ますよ」、と。
そうだろう。私も、そうだ。