軽ろみの粋。

午前中、腹のエコーと胃の内視鏡の検査。毎年、今ごろ恒例となっているものを受ける。
胃といっても、私の胃は、その大部分を切り取っているので、残っている部分と、十二指腸を視る。来週初めには、大腸の中も視ることになっている。それで、ふと、小腸の内視鏡というのはどうなのかな、と思い、胃を覗いた医者に聞くと、小腸は、あまり悪いヤツができないそうだ。
いずれにしろ、小腸というのは、十二指腸と大腸の間にあるものだろうから、視る方も大変だろう。視られる患者にとっても、助かる。小腸が、あまり悪さをしない、ということは、いいことだ。
軽い麻酔が切れるのを待ち、食事をし、銀座に出て、映画を観た。どうせ、碌でもないものだろう、と思いながら、やけに評判になっている『アバター』を観ようかと思ったが、チケット売り場には、人が多く並んでいる。それも、夕刻の回のものだという。それほどまでして観る映画か、と思いヤメ、少し歩くと、メリル・ストリープ主演のものがあった。
女流監督のノーラ・エフロンの作品『ジュリー&ジュリア』を観る。
ところが、予告編をやっている内に、ついウトウトと眠ってしまった。いつもより早く起きたせいか、検査の鎮静剤がまだ残っているのか、場内が暖かいせいなのか、よく解からないが、眠っちゃた。気が付くと、本編は始まっており、暫くは、どういうものだか、よく解からなかった。メリル・ストリープは出ているのだが。
その内に解かった。メリル・ストリープ扮するジュリアというアメリカ女が、外交官の亭主についてパリへ行った時に、コルドン・ブルーでフランス料理を習い、アメリカの女性の為に、料理本を書く。1940年代の終わりから50年代にかけてだ。だから、亭主がワシントンに呼び戻され尋問を受けるマッカーシズムのことも、チラと出てくる。
それと、50年ぐらい後、エイミー・アダムス扮するジュリーという女性が、ジュリアの本のレシピをブログに書く、という話が、平行して進むんだ。ジュリアは、タイプライターで、50年後のジュリーは、パソコンのキーで、文章を書いているが。実際には、途中からしか観ていないが、面白かった。粋な映画だ。
監督のノーラ・エフロンは、ニューヨークの生れ。そう言えば、メグ・ライアンとトム・ハンクスを使った、洒落たニューヨーカーの物語・『ユー・ガット・メール』も彼女の作品。この映画のジュリーもニューヨーカーなんだ。ニューヨーカーの話ってのは、どこか粋。洒落てるんだ。軽ろみのある粋なんだ。昨日書いた、江戸っ子好みの、渋みのある粋とは、少し違うが。
ジュリアは、ニューヨーカーかどうか、解からない。おそらく違う。典型的な、大らかなアメリカの女だもの。しかし、ジュリアを演じたメリル・ストリープ、60代に入ったが、ますます上手いな。アメリカ人じゃない私には、ちょっとクサすぎるんじゃないか、とも思えるが、アメリカの人にとっては、これぞストリープ、と思うだろうな。