「日本遺産」補遺(11) (古本屋)。

本や雑誌の世界、今、とても厳しい、ということを、昨日は書いた。それで、今日は、古本の世界のことを記すこととする。
「日本遺産ベスト10」の中に、同率ながら、堂々の8位に<神田神保町古書店街>が入っていることでもあるし。その神保町の古書店街と、いくらかの古本屋について。
「芸術新潮」の問いかけに、「好きか苦手か迷うけれど」、と書きながらも、「日本遺産」に、「古本の街と安酒の街」、として、<神田古本街>と<新宿ゴールデン街>、という”東京もの”を二つ挙げた津野海太郎、東京の街について、こう言っている。
<ヨーロッパや中国の都市とちがって、ちょっときつく握ると、てのひらの中でグシャリと崩れてしまいそうなはかなさが東京という街の特質>、と。
もう一人の「日本遺産」への推薦者である早稲田の教授、丹尾安典は、「インビな古書空間」、と記している。
津野と丹尾が、世界に類を見ない古書店街として、神保町の古書店街を挙げているのは納得できるのだが、津野のいう”はかなさの東京”、丹尾の記す”インビな・・・”、という記述は、私にはよく解からない。そうは、思えないもの、私には。
まあ、それはともかく、早稲田の周りにも古本屋は多いし、本郷の東大の前にも古本屋は多くあるし、中央線の沿線にも中野から吉祥寺にかけて、各駅の周りに古本屋はそこそこある。しかし、その規模は、神保町の比ではない。神保町だけが、特別。
大阪にも古本屋街があってよさそうだが、ない。昔、ミナミの繁華街のど真ん中、千日前に”天牛”という古本屋があった。小さな店だったが、なにしろ創業が明治40年(1907年)、という古本屋、存在感のある店だった。だが、ずいぶん前から、そこにはなくなっていた。念の為調べたら、今も続いている。大阪の北、吹田の江坂に大きな店を構えている。ネットでの取引もしているようだ。なにか、ホッとする。
しかし、大阪には、古本屋が集まっている所はない。何年か前の夜、梅田の近くで、食事をと思い阪急の地下街を歩いていたら、食堂や飲み屋に混じって古本屋が何軒か連なっていたが。
また、大学も多く、大阪よりは古本屋も多いであろう京都でも、街中でポツンポツンとしか見かけない。私は、京都の学校には何処にも行ったことがないので、何ともいえないが、おそらく、古書店街といえるほどのものは、ないのではないか。神保町だけが、特異なのである。
さて、神保町、靖国通りと白山通りの交わる神保町の交差点の周り、古本屋が軒を連ねる。靖国通りの北、また、すずらん通りの方も含めて、東西南北4〜500メートル四方の範囲に。東は、駿河台下の三茶書房から、西は、日本特価書籍を越え北沢書店までの靖国通り沿いでも、4〜500メートルはあろう。
三茶書房は、日本文学の古書を主に扱っている古本屋だが、昔、こういう新聞記事があった。なんでも、この三茶書房のオヤジさん、神保町ではケチで有名な人だったそうなんだが、ある時、明治期だか、大正期だか、昭和期だか、の文人の何かを作る折り、ポンと1000万だか、1億だかの寄付を申し出たのが、そのケチで有名だった三茶書房のオヤジさんだった、という話。
その文人が誰だったか、何を作るのだったか、1000万だったか1億(考えてみればえらい違いだな)だったか、も忘れたが。なにしろ、20年か30年くらい前の話なので、記憶、まったく不確か。しかし、「古本屋のオヤジは、エライな」、という記憶だけは、確かにある。
また、駿河台下からは少し離れるが、東を美術書に特化した源喜堂にとり、西を今ではアダルトブック専門の芳賀書店の本店までとすれば、700メートルくらいになる。
なお、源喜堂は、画集や写真集など大判の美術書が多くあるが、神保町の中心部からは少し外れていることもあるのか、同じ本で同程度の状態のものでも、他の書店よりも、その値付けは安い。
また、西の端の芳賀書店、ビニールのかかったアダルト本の専門書店になってからは、久しく行かないが、以前は、面白い本や硬い本を出していた出版社だったんだ。今でも、若い連中には知られている(だろうな)寺山修司の書、『書を捨てよ、町へ出よう』、を初めて世に出したのも、この芳賀書店である。
この寺山の書、その装幀、イラスト、本文レイアウトは、すべて横尾忠則の手になるもの。いかにも横尾、という表紙カバーの絵ばかりでなく、本文中にも、まだ”画家に専念”宣言をする前、イラストレーターとして旭日の勢いの頃の横尾の作品が、ふんだんに出てくる。
少し横道にそれたが、その芳賀書店、出版活動が厳しくなり、エログロのアダルト本の販売に切り替えた頃の芳賀書店の店内は、面白かった。『講座・日本の革命思想』なんていう、かって芳賀書店が出した本とビニールがかかった本が、仲良く共存して棚にならんでいたんだから。
おそらく、親父さんから息子さんへの代替わりでもする時、知的好奇心を満たす書籍の出版活動から、肉体的好奇心を亢進する書籍の販売活動へ、その経営方針を大きく切り替えたんじゃないかな。「親父さん、思想じゃメシは食えないよ」、とでも言って。いや、まったくの想像にすぎないが。おそらく。
それもともかく、私の知るかぎり、こんな街は、どこにもない。外国を含め。神保町だけだ。いや、私などの言うことは、どうでもいいが、あちこちの古本屋を歩いている人、皆、異口同音にそう言っているもの。
何年か前から、私は、入ったことはないが、「本の街の案内所」も、神保町の交差点の近くにある。文化情報誌を謳っている「本の街」といういう月刊のタウン誌も、ズッと続いている。表通りの老舗古書店ばかりでなく、新しい古本屋もできている。ひとつだけ、紹介しておこう。
神保町の秘境「ブック・ダイバー」、という店だ。3〜4年ほど前に開いた店。小さな店だが、「ダイバーとは、探求者のことである。探求者はオタクである。オタクはここにいる」、という店。
交差点から55秒、と謳っているが、それは言葉の勢い、2分ぐらいはかかる。神保町の交差点から、白山通りを水道橋方向に歩き、すぐ左に折れた裏道にある。その店のオーナー店長、凄い人、というだけにしておこう。ゾウさんのような目をした優しい人でもある。店の前には、いつも、デカいバイクが停まっている。オーナーが乗っているらしい。
この店、さまざまなキャッチフレーズを駆使している。”裏神保町”という言葉も、この店が初めて使った言葉だろう。「古本お休み処」として、店内にお茶を入れたポットを置いてあるのも、他では、あまり見ない。
ダンボールに入れた「ミニ古本市」ということも、やっている。今年の最初の企画は、「女子とふるぽん〜」、というものだったようだ。”ふるほん”ではない、”ふるぽん”だ。ここにも、店主の作為というより、創意と工夫が感じられるが、古書店街のニューディールであろう。
店主の座右の銘は、「いつまでも あると思うな 本と店」。たしかに、そうだな。正月を除き、年中無休。日曜、祝日には、文庫本を除いて、1割引きになる。
なんだか、「ブック・ダイバー」の宣伝をしているようだが、そうではない。「日本遺産ベスト10」にも選ばれた<神田神保町古書店街>、留まることなく進化している。その一例として、挙げただけ。
私は、だんだん東京にも、神保町にも行かなくなったが、まだ若い元気な人は、ぜひ行ってください。面白いよ、神保町は。
今日は眠くなったので、古本屋の続きは、また明日とする。