「日本遺産」補遺(10) (本の世界)。

特徴のある、美しい雑誌が、次々と休刊に追い込まれていく。
4〜5日くらい前だったと思うが、文化出版局が、「季刊銀花」と「ハイファッション」の2誌を、来月発行号で休刊とする、と発表した。「季刊銀花」は、1970年創刊。「ハイファッション」は、1960年の創刊。歴史が長いということばかりでなく、両誌とも、とても美しい雑誌だった。その「季刊銀花」のブックデザインをしていたのは、杉浦康平だ。
また、ちょうど同じころ、やはり4〜5日前、鳩山由紀夫が本屋に行っている映像が流れたが、どういうワケだか知らないが、鳩山の横に松岡正剛が映っていた。その松岡が出していた、アートと思想、その他もろもろのものを渾然一体とした、不思議な、しかし、美しい雑誌「遊」のブックデザインをしていたのも、杉浦康平。
雑誌、単行本を含めあらゆる出版物、その表紙をひと目見たら、「オッ、これは杉浦康平だな」、とすぐ解かる、独自なデザイン。まさに、「杉浦ワールド」を創りあげてきた。
その杉浦と、これまたブックデザイン、装幀の分野(本の世界に限らないが)で、独自な世界を創りあげてきたのが、平野甲賀。アメリカ文化大好きの若者に、植草甚一はじめさまざまな人の書を届けていた出版社、晶文社の書籍の60年代から90年代にかけてのブックデザインを、ほとんど全て手がけていたそうだ。晶文社の、あの”犀”のマークも。
そのブックデザイン界の両雄、杉浦康平と平野甲賀が、挙げている「日本遺産」は、これである。
杉浦は、<「二にして一」、対をなすカタチの妙>、と記して、次の3つを挙げる。
<左方・右方、対をなす「火焔太鼓」>、<男・女、対をなす表情をみせる「べらぼう凧」>、<雲龍・不知火、対をなす吉祥結び「横綱」>、を。
杉浦は、<私は、このような「対をなす造形の妙」こそが、アジアの文化遺産を深く受けつぎ、発酵させた、日本独自の「かたちの遺産」ではないかと考えている。「二にして一」「一にして二」というダイナミックな世界認識が、この造形語法を支えている>、とその推薦の弁をのべている。
たしかに、”対”の概念のみならず、その形、色(横綱は、純白だが)、杉浦の世界だ。
この杉浦康平が、ブックデザイン界の東の正横綱なら、西の正横綱にあたる平野甲賀は、これを推す。
<河野鷹思の初期広告グラフィックデザイン>、<古今亭志ん朝の落語>、<忌野清志郎のロック、とくにThe Timersの楽曲>、<横尾忠則の芸術運動>、<桂吉坊の高座、芝居噺>、の5つを。
グラフィックデザイン界の先達である河野鷹思や、志ん朝の落語を挙げるのは解かる。ほぼ同世代ともいえる横尾忠則の活動、動きを、横尾がデザイナー出身であるからこそ、おそらく、ある種、畏敬の念を持って見ていたのかな、というのも解かる。しかし、忌野と桂吉坊には、驚いた。特に、吉坊は、私も初めて知ったが、まだ20代の噺家なんだもの。
求道者というイメージのある杉浦康平に対し、平野甲賀、そのアンテナの領域は広いんだ。ブックデザイン界の両横綱、その対称の妙が、面白い。
ところで、話は少し変わるが、冒頭に記した、文化出版局が来月発行号で休刊とするとした、「季刊銀花」と「ハイファッション」の2誌、その発行部数のこと。「季刊銀花」が、2万5千部、「ハイファッション」が、4万部、だそうだ。
発行部数とは、いわば公称部数のこと、実売部数は、ズッと少ない。おそらく、その2/3程度ではなかろうか。これでは、続けられない。休刊やむなしだ。
なお、このところ連日触れている「芸術新潮」の発行部数も、4万部弱。これは、公称でなく、実売部数のようであるが、それにしても継続していくには、ギリギリの部数であろう。せいぜい応援しなければいけない、というところに来ている、ということは言えるな。私は、新潮社とは何の関係もないが、皆さま、よろしく。
出版界は、厳しい。ごくごく一部を除いては、とても厳しい状況だろう。紙媒体からの読者離れ、ネットなど情報ソースの多様化、などさまざまな理由があげられているが、新聞の将来ばかりでなく、本の将来もどうなるか、由々しき事態である。
その内、本のない時代が来るのかもしれないな、本当に。