「日本遺産」補遺(6) (仏像)(続き)。

昨日は、「まず最初に・・・」だけで終わってしまった。今日は、その続き。
あの人は、どういうものを見ていたんだったか、と思い、本棚から、和辻哲郎の『古寺巡禮』を探し出す。奈良の仏像というか、寺歩き本の嚆矢。私の持っているのは、昭和44年発行の第41刷だが、初版は、大正8年。ロングセラーだ。今では、6〜70刷くらいになっているのかも知れない。
<昨夜、・・・アジャンター壁画の模写を見せてもらったが・・・>から書き始められる和辻の記述、とても平易で解かり易く、入江泰吉撮影の写真が23点も入っている。
「日本遺産」に唯一入った、法隆寺の<百済観音>の写真も、もちろん出ている。<夢殿観音>(救世観音)、東大寺三月堂(法華堂)の<梵天>(月光菩薩)や<不空羂索観音>、聖林寺の<十一面観音>、薬師寺金堂の<薬師如来>、も出てくる。
何年か前、興福寺南円堂の<不空羂索観音>が久しぶりのご開帳、とのことを聞き、観に行ったが、存在感のある大きな仏さまではあったが、不思議なオーラを放つ、三月堂の<不空羂索>に比すべきものではなかった、ことを思い出す。
和辻哲郎の『古寺巡禮』、最後は、中宮寺の<観音>で閉じられる。中宮寺の<弥勒菩薩>、<如意輪観音>、<半跏思惟像>、とさまざまな呼び方をされている仏さま。あまりにも著名、ポピュラーな仏さまなので、名をあげるのが憚られるほどだが、黒くにぶく光る、この仏さまは、とても美しい。和辻の記述の一部を曳いておこう。
<右手の障子で柔げられた光線を軽く半面にうけながら、彼女は神々しいほどの優しい「たましひのほヽゑみ」を浮かべていた。それはもう「彫刻」でも「推古佛」でもなかった。ただわれわれの心からな跪拝に價するーーそうしてまたその跪拝に生き生きと答えてくれるーー一つの生きた、貴い、力強い、慈愛そのものの姿であった>、と記している。
ただ、とても美しい、と感じている私と、大哲学者の和辻では、その感じ方の奥行き、ずいぶん違うが、それは当たり前。
ところで、古寺巡礼、といえばあと一人、土門拳を忘れるワケにはいかない。
私は、5分冊にわたる豪華本、土門拳の『古寺巡礼』は、残念ながら持っていない。だが、15年前、1995年に目黒区美術館で開かれた「古寺巡礼 土門拳展」の図録は持っている。表紙は、布装金箔押し、ケース入り、という図録としては、やけに手の込んだ造りの図録。「古寺巡礼」展、ということで、図録も豪華にしたものだと思われる。それはともかく・・・
土門拳が、本格的に古寺を撮る為に奈良へ行ったのは、昭和14年(1939年)。まず、室生寺へ行った。そして、翌昭和15年からその他の古寺を撮り始めた。以後40年にわたり、撮り続けた。寺や仏を、長時間の露出で印画紙に焼き付けた。土門の形を、土門の色を。
その中から、私の好きな仏さまを幾つか挙げておく。
室生寺金堂内陣の<十一面観音像>、法隆寺金堂の<釈迦三尊像>、やはり、法隆寺東院の<夢殿観音立像>(<救世観音>)、唐招提寺金堂の<千手観音像>と<盧舎那佛坐像>、そして、やはり唐招提寺の新宝蔵にある<如来形立像>、だ。
この唐招提寺にある<如来形立像>は、何とも不思議な仏さまだ。何しろ、頭と両手がない。もげている。等身大よりやや大きいかな、という仏さまだが、とても美しい。身体に沿った衣の流れ、その曲線が美しい。顔がないので、その美しさが、余計に際立つ、感じがする。私の大好きな仏さまのひとつだ。
なんだか眠くなってきちゃった。酒を飲みながら、と言っても大した酒じゃない、焼酎のお湯割りを飲みながら思いつくままキーを打っているにすぎないのだが、眠くなった。
好きな仏さまのこと、まだ終わってはいないのだが、どうせ他愛のないよしなしごと、今日やらなければならないことでもない。明日にしよう。