「日本遺産」補遺(3) (絵、忘れてはいないか)。

「日本遺産・ベスト10」には、同率8位で、長谷川等伯の<松林図屏風>が入っている。
たしかに、あの絵は、日本美術の極北を表わす作品のひとつ、素晴らしい作品であり、異論はない。しかし、そうは思いつつも、それだけか、というか、1点ならば等伯になるのか、という、ややモヤモヤとした思いが、私にはある。
その前に、この作品の他に、1票のみだが、名の挙がった絵画作品を列挙してみよう。
・ <源氏物語絵巻>
・ 曽我蕭白<寒山拾得図屏風>
・ 伊藤若冲<動植綵絵>
・ 長谷川等伯<柳橋水車図屏風>
・ 酒井抱一<夏秋草図屏風>
・ 禅林寺の<山越阿弥陀図>
・ 鈴木春信<座鋪八景 塗桶暮雪>
・ 葛飾北斎<諸国滝廻り 木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ滝>
・ 増上寺の<五百羅漢図>
・ 富岡鉄斎<富士山図屏風>
・ 岸田劉生<麗子住吉詣之立像>
・ 宮本三郎<山下、パーシバル両司令官会見図>
・ 藤田嗣治<アッツ島玉砕>
・ 岡本太郎<明日の神話>
こうして並べてみると、バラエティーに富んでいるようにも見えるが、富んでいないといえば、富んでいない。むしろ、富んでいない。私が見ていないものもあるが、その写真を見ても、これがどうして、というものもある。もちろん、これらを「日本遺産」として推薦した人には、それぞれの理由があるのであり、私がどうこう言うことではないが。
しかし、非常に乱暴に言えば、皇居の三の丸尚蔵館にある、若冲の<動植綵絵>全30幅のみが、「日本遺産」の上位を争うに相応しいものだろう。もちろん、抱一や、鉄斎、劉生の作品も素晴らしいものであるが、敢えて、乱暴に言えばということで。
<源氏物語絵巻>は、橋本治(作家、というより、マルチな才人だな)が挙げている。四大絵巻のひとつ、名古屋の徳川美術館と世田谷の五島美術館にのみ、その断簡が収蔵されている。今では、年に一度、1週間程度陳列されているそうだが、以前は、5年だか10年だかに一度、公開されるのみだった。
10年近く前になると思うが、その公開日、五島美術館に行った。たしか冬、みぞれの降る寒い日、2〜3時間ならんで、やっと、引き目、カギ鼻の王朝絵巻を見た。ガチガチ震えながら待ったこともあろうが、あまり、いい印象を持っていない。
曽我蕭白の<寒山拾得>は、中条省平(仏文学者、学習院大学教授)が挙げているが、私には、どうも、蕭白の良さが、今ひとつ解からない。はっきり言って、好きじゃない。よく、蕭白と等伯が、並び称せられるが、私は、等伯派なんだ。
その等伯の<柳橋水車図屏風>を、原田治(イラストレーター)が挙げている。神戸の香雪美術館にあるというこの作品、私は、見たことがない。だから、何とも言えない。
酒井抱一の<夏秋草図屏風>、これは素晴らしい作品だ。しかし、抱一よりは等伯、となろう。「日本遺産」としては。
長くなるので、少し飛ばす。だが、宮本三郎と藤田嗣冶の作品については、少し触れる。そうでなければ、「なんで」、ということになるであろうから。
この2点を「日本遺産」として推しているのは、美術評論家の椹木野衣(さわらぎ・のい)。椹木は、こう書いている。
<いろいろと考えたのですが、やはり東京国立近代美術館に収蔵されている153点の戦争画(戦争記録画)でしょうか。戦時中に主に陸軍報道部によって画材・画題の統制下、名だたる画家たちによって描かれたものです>、と記し、1970年に米国から返還された戦争画が持つ意味を書いている。時代と芸術の問題を。
名だたるテクニシャンの宮本三郎と藤田嗣治、その絵自体は、リアリズムの極致、というものだが、「日本遺産」となると、どう言えばいいか、難しい。
最後の、今、渋谷の通路にある、岡本太郎の<明日の神話>、梅原猛が推している。ともかく、バカでかい作品だが、岡本太郎の作品の中では、傑出したいい作品だと思う。だが、古今東西、あらゆる分野から選定する「日本遺産」の中に入れるとは、梅原先生、どうした、と思わざるを得ない。
長くなったので、今日は、これでやめる。
実は、今日のタイトルにつけた、「絵、忘れてはいないか」の「忘れてはいないか」のことは、まだ書いていない。この続きは、明日としよう。