横審の品位と存在感。

横綱審議委員のけいこ総見が、今日あった、というニュースを見た。初場所が、近いんだ。
「日本遺産」の補遺を、暫くの間、と思っていたが、「相撲」という言葉を聞くと、やはり、触れたくなる。
白鵬は、29番取ったが、朝青龍は、12番で上がった、という。両横綱の申し合いは、2番。いずれも白鵬が勝った、という。
5期10年の間、横綱審議委員を務めた内館牧子が、初場所後、任期満了となるそうだ。だから、内館にとっては、今日が、最後のけいこ総見。
朝青龍に対しては、苦言を呈し続けた。場所を休場したにもかかわらず、その後、協会に無断でモンゴルに帰った時には、横綱審議委員会の席上、朝青龍に対し引退勧告を出すべき、とまで口にした。今日の総見の後も、「プロスポーツの選手としては、超が3つ付くくらい一流だが、横綱としては、認めない」、と言っている。
この内館に対し、彼女は単に朝青龍が嫌いなのだ、とか、朝青龍イジメだ、とかの声が案外多い。内館はけしからん、なんだアイツは、という声が。たしかに、何もそこまで言うことはないでしょう、ということも多かったが、私は、内館は、横審の委員としてよくやった、と思っている。少なくとも、横綱審議委員会の存在感を高めた。
(財)日本相撲協会の理事長が委嘱する横綱審議委員、その資格は、単に「相撲に造詣が深い人」、というだけ。もっとも、歴代の横綱審議委員は、大新聞の社長やNHKの会長、学者、政治家、大会社の社長、いわゆる芸術家、ああ、日銀の総裁もいたな、まあ、そういったステータスの高い人がなっている。その中で、内館は、異色であった。女性ということもあったが。
よく、「横綱の品位」、ということが言われる。朝青龍がいつも、これに抵触する、と言われている品位だ。だが、それを選ぶ横綱審議委員にこそ、品位が求められて然るべし、と私は思っている。加えて、存在感も。
過去には、端整な石井光次郎、、小柄な稲葉修、独文学者ながら、いつも和服姿の高橋義孝、など品位のある横審委員がいた。また、これは意見が別れるであろうが、ナベツネもその品位はともかく、存在感はあった。
それが、今の横審委員にはない。委員長の日経の社長以下、どなたにも、品位も存在感も感じられない。しかし、内館牧子には、品位はないが、少なくとも存在感はあった。横審委員には、横綱を推薦する(もちろん、それが第一の務めではあるが)、ということばかりでなく、相撲を国民により認知させる、近づける、ありていに言えば、相撲をPRする、という役目も負っているのだから。
内館は、その意味では、務めを果たした。他の横審委員の声は、聞こえてこないもの、何も。皆、気持ちのいい横審委員に安住してるんだ。だから、私は、余計にそう思う。
名誉職といわれるものは、多くある。だが、横綱審議委員ほど気持ちのいい名誉職はないのでは、と私は思っている。協会の理事長以下、力士まで、身体のデカイ男たちから、先生、先生、と言われているんだから、気持ちいいに違いない。
横綱審議委員の報酬は、ゼロ、全くなし。本場所の観覧も、協会から招待されているワケではなく、自前でチケットを買っている。アゴ・アシなんてものも、もちろんない。名誉職は、これでなくっちゃ、という徹底した名誉職。そうであるからこそ、余計に気持ちがいい。誰もが憧れるが、誰もがなれるものではない。
そうであるからこそ、品位と存在感が求められる。国民の代表なんだから。
内館の後任の横綱審議委員、誰がいいか、思い浮かばない。折角の女性委員の後任、やはり、女性がいいと思うが、思い浮かばない。

強いて言えば、野球やラグビーばかりでなく、スポーツ全般、相撲にも興味を持っているという、吉永小百合がどうか、と思うが、はたして相撲協会、どうするか。