「日本遺産・ベスト10」 (続き)。

一昨日の「日本遺産・ベスト10」の続きを書く。
一昨日は、7位まで記したが、途中で眠くなり、そこで打ちきった。今日は、残りの8位以下を記す。
8位以下と言っても、全て同率、同位であり、8つある。個性派ぞろいの68名の人たちから、複数票を集めた「日本遺産」。僅差で、”居酒屋”や”富士山”、”日本語”、などの後塵を拝することとなったが、見渡してみると、どれも、なるほどな、と首肯できる立派な「日本遺産」である。
ひと通り、記してみよう。
まず、”ひらがな”から。
これを挙げた一人、書家の石川九楊は、こう書いている。<「遺産」に光のあたるのはいい時代ではない。・・・文化生産力が枯渇し、新しいものなどほとんど産まれてこない現在を明るみにしているだけのことではないだろうか>、と。
その石川九楊が挙げている「日本遺産」は、とても趣きのあるもの。こういうものだ。
”平仮名ーひとつをあげれば<寸松庵色紙>”、”花ーひとつをあげれば彼岸花”、”天皇制ーひとつをあげれば水戸黄門の印籠”、”箸の水平置きーひとつをあげれば赤杉の割箸”、”脱靴家屋ーひとつをあげれば沓脱石”、の5つ。
なお、<寸松庵色紙>とは、『古今集』の四季の歌を書写する伝紀貫之の彩箋墨書。かなの美の最高峰のひとつ、とある。写真もあるが、流れるようなやや薄い墨の色、とても美しい。
単なる書家という範疇を超え、今まで、サントリー学芸賞、毎日出版文化賞、また、昨年暮れには、大仏次郎賞も受賞している学者でもある石川九楊、表現者として、その内、「日本の巨人・ベスト○○」なんてものを選べば、その中にも入るのではないか、と私は思っている。
そんなことを考えていると、あった。川田喜久治(写真家)が、”石川九楊の書<歎異抄>”を、「日本遺産」の中に挙げている。
こんなこと、あちこちに脱線しながら書いていると、このブログ、また長くなり、眠くなるまで終わらなくなってしまう。次に移ろう。
同率8位の、”法隆寺<百済観音像>だ。
数多ある仏像の中から何を選ぶか、これは難しい。ただ1点、「日本遺産・ベスト10」の中に選ばれたのが、”法隆寺の<百済観音像>”だ。<思わず立ちどまり、動けなくなり、ほどなく涙が出てきました>、という推薦の弁を書く加藤典洋ほどの、繊細な神経の持ち合わせはないが、私も、この<百済観音>は、好きである。だから、まあ、妥当かな、とは思う。
しかし、建築史家の藤森照信(アレッ、東大教授は、辞めたんだ)が、諏訪の”万治の石仏”を挙げている他、誰も、いわゆる仏像を挙げていないのは、どうしたことだろう。
昨年、東京への出開帳で、何十万人もの人を集めた、興福寺の<阿修羅>とか、中宮寺や広隆寺の<弥勒菩薩>、といった、いわば国民的仏像が、「芸術新潮」が依頼した68名の選定委員によって選ばれる、とは思っていないが、それでも何人かの人は、ウーンなるほどな、という仏像を挙げるのでは、と思っていた。
それが、<百済観音>以外、誰もいない。見事といえば見事だ。
終わらなくなる。次にいこう。
”小津安二郎『東京物語』”だ。
やはり、日本映画この1本、となれば、小津の『東京物語』となるんだな。世界に誇るこの1本、となれば、溝口健二でもなく、黒沢明でもなく、ましてや、大島渚でもなく、北野武でもなく、小津の『東京物語』なんだ。
同業の吉田喜重は、<小津作品を日本的と考えるのは、安易な偏見にすぎない>、と言い、狩野博幸(日本近世美術史・同志社大学教授)は、<『東京物語』は何にも替え難い世界映画の至宝である>、と言っている。私も観ているが、私の感性が鈍い故であろう、世界の至宝、とまでは思えない。
次は、”築地市場”。
私は、築地の場外市場には行き、安い飯を食ったことはあるが、築地市場の場内には、入ったことがない。それ故、「日本遺産」に選ばれるほどのものか、どうか、何とも言えず。次にいく。
”君が代”だ。
詩人の小池昌代(昨年末のこのブログ、たしか、年賀状の時だったかに、彼女について触れたが)は、<政治的な意味を帯びてしまうことに困っているが、このメロディーにふしぎな愛着を持っている>、と記す。
あと1人の推薦者、小西康陽(作編曲家)が挙げた5つの「日本遺産」は、シンプルといえば、とてもシンプル。だが、「誰か、オレの挙げた「日本遺産」に文句のあるヤツはいるか、どうだ」というもの。小西の挙げた「日本遺産」、こういうもの。
”カタカナ”、”ひらがな”、”日の丸”、”君が代”、”富士山”、の5つ。「仰せの通り、ごもっとも。文句など、ありません」と言う他ない。
次は、”神田神保町古書店街”だ。
津野海太郎(評論家)と丹尾康典(早稲田大学文化構想学部教授、アレッ、早稲田にこんな学部あったかな)の二人が、「日本遺産」に推している。
古書店、古本屋は、いわゆる先進国では、どの国にも(私の経験では、途上国の場合には少なく、探すのは、大変)ある。
しかし、古書店が何百メートルもの間、軒を連ねているのは、私の少ない経験では、神保町だけである。欧米にもない。神保町のような古書店街は、ニューヨークにも、ロンドンにも、パリにもない。トルコのイスタンブール大学の近くに、「オッ、小型の神保町みたいだな」、という小路があるが、そこも、せいぜい数十メートルほどしかない。
今では、裏神保町もある。あちこち、古本屋大好きの私としては、神保町の古書店街、「日本遺産・ベスト10」に登録されて、然るべし。納得する。
次は、”長谷川等伯<松林図屏風>”だ。
六曲一双の水墨画。東博、東京国立博物館の所蔵なので、常設展でも、時折り展示されている。この絵は、凄い。
安土桃山から江戸初期にかけ、活躍した長谷川等伯、金碧の障壁画も描いたが、この絵のような墨一色の深みのある屏風絵も描いた。オールマイティーの絵描きだ。当時、勢力絶大な狩野派、特に、その総帥である狩野永徳に強烈なライバル意識をもっていたんだ。やはり、永徳よりは、等伯だろう。私も、そう思う。
なお、近々、”トウハク”を”トウハク”で、となる。いや、単なるオヤジギャグ。申しわけなし。等伯の没後400年となる記念の特別展が、東博、つまり、東京国立博物館で、2月23日から3月22日まで開かれる。「史上最大にして、最上の大回顧展」、と東博では、謳っている。
それはともかく、絵については、”伊藤若冲の<動植綵絵>”や、”酒井抱一<夏秋草図屏風>”、また、富岡鉄斎や岸田劉生のものを挙げている人もいるが、またとする。「日本遺産」補遺でとする。
だんだん眠くなってきた。同率8位、あとひとつ。そこまでにしよう。長くもなったし。
「日本遺産・ベスト10」最後は、”新宿ゴールデン街”。
推しているのは、福岡伸一と津野海太郎。ゴールデン街については、10日ほど前、暮れのブログにも書いた。1年半ぶりぐらいで、ゴールデン街のバー「十月」に行った時のことを。3〜40年前には、四六時中行っていたのだが。
なんと、「芸術新潮」にも、10日ほど前、私がブログに載せた写真と同じアングルの写真が載っている。カメラも良ければ、撮り手もいいんで、鮮明な写真であるが。ゴールデン街には、この通り以外にもいっぱい道はあるのに、と思うが、考えてみると、他の道には、店を閉め、電気の点いていない通りが多いんだ。それで、この通りなんだ、と思いいたる。
しかし、翻って考えてみると、築地にしろ、神保町にしろ、ゴールデン街にしろ、東京ばかり。「東京ばかりが、日本じゃないぞ」という声もあろう。当然だ。これも、問題だ。「芸術新潮」、どうする、と言っても、どうなる問題ではないが。
論理もくそもなくなってきたな。長くもなったし、眠くもなった。
「日本遺産」、またとしよう。補遺として、また書く。