年賀状。

アレッ、もうあまりないのか今年も、年賀状書かなくちゃ、と急いで年賀状を作る。
毎年、写真もイラストもない、干支にも関係のない、字だけの年賀状なので、作るのは、簡単。慌てて文面を書き、プリンターにかける。半分ほどプリントアウトした後、ここんとこ、ちょっとどうかな、気楽なブログと違うんだから、と思うところがあり、5行ばかり打ち直す。だから、今年の、じゃない来年の年賀状、2バージョンとなってしまった。
ま、同じ人のところに届くんじゃないんだから、いいだろう、と勝手に思う。来年からは、ギリギリじゃなく、もう少し早めに書いて、刷る前によく目を通すことにしよう、と思うが、来年も年賀状を出せるならばな、とも思う。
と言うのも、その後、宛名書き(私は、知人の宛先、パソコンに取りこんでない)をする為、今年いただいた年賀状を見ていたら、「今年はどうこうして云々」、と書いてあった人の夫人から、その人の喪中を知らせるハガキが来ていたことを思い出したからである。
毎年何通か届く”喪中につき・・・”のハガキも、「父○○が90何歳で」、とか、「義母が102歳の天寿を全うして」、というのは、長生きされたんだな、と解かるが、私と同年代の人の喪中、というのは、やはり、少し考える。1年先、解からない、と。
それはそれとして、宛名書きをしながら途中テレビをつけると、コルカタの映像が出てきた。カルカッタだ。詩人の小池昌代が、コルカタを訪れた映像。再放送らしいが、カルカッタ(私にとっては、カルカッタだ)の町中の様子が出てくる。宛名を書きながら見ていたが、その内宛名書きはやめ、画面に引きつけられる。今日、宛名書きを終えても、元日には届かず、3日であろうし、明日投函しても同じだろう、と思い。
最後にカルカッタに行ってからでも、もう10年以上になるが、町中、また、その人々、変わっていない。手押しポンプを押し、大きなヒツジの皮袋に水を入れ、それを市場の魚屋まで運んで行く男が出てきた。重労働だ。1回の労賃は、3〜4ルピー、日本円にすれば、6〜8円。それを1日に5〜60回繰り返す、という。1日の稼ぎ、400円前後。じいさんも、それをやっていた。親父も。つまり、3代にわたり、同じことをしてきた、という。
必ずある停電も出てきたし、リクシャー、人力車も出てきた。今、人力車があるのは、日本の観光地とカルカッタだけ。インドでも他の町では、人が曳くリクシャーは、今はない。ただ、浅草や京都のイナセなオニイさんが曳くきれいな人力車とカルカッタのリクシャーは、全く違う。70年の間リクシャー曳きをしている、というじいさんも出てきた。
最後に、「世界で一番人がひしめきあう町」、というタイトルが出てきたが、初めてコルカタに行ったらしい小池昌代、「私のこれから、なにか変わると思う」、と言っていた。たしかに、そうだ。
もちろん、今のコルカタ、地下鉄もあればビジネス街もある。だが、7〜8割は、1日の稼ぎ数百円の人々が、ひしめきあう町。10年以上前と変わっていない。小池ならずとも、行けば、なにかが変わる。
というワケで、年賀状は、明日投函、3日には届くだろう。